「や…っ、いやあ…っ!」
自由にならない手を突っ張って、懸命に距離を取る。そんなことをしても、何にもならないのは分かりきっていたが、それでも勝手に身体が動いた。
「取り乱す姿もなかなかそそるのう」
「ひっ!」
アドスの手がブルーの尻をさわりとなでた。背中をぞわぞわと悪寒が走る。と、そのとき。
「陛下…っ!」
出し抜けにドアが開き、さっきの腰ぎんちゃくのような男が慌てて入ってきた。ひどく落ち着きをなくしており、まるでちょろちょろ動き回る小ねずみのように映った。
「なんだ、騒々しい…!」
これからというときになって思わぬ邪魔が入ったせいで、アドスは苛立って男を怒鳴りつけた。
「も…っ、申し訳ありません! しかし…その、取り急ぎお耳に入れたいことが…」
謝りつつも、顔面を蒼白にして訴える臣下に、アドスは舌打ちしながらブルーの身体から手を離した。何かあったのだろうかと思いつつも、アドスの関心がそれたことにブルーはほっとした。
「ええい、何があったのだ! 言ってみろ!」
「は…実は…」
アドスは豪華な上着を羽織りながらベッドから離れ、男に近づいた。男はアドスに何か耳打ちしたが、その途端アドスの顔がさらに険しくなったようだった。今はレースの天幕が下りていてはっきりと表情は見えなかったが、雰囲気で分かる。
「なんだと! それで貴様、あの若造を城内に入れたのかっ!」
…若造? …もしかして…ジョミー?
こんなときなのに、ジョミーの端正な面持ちを思い出してどきっとした。
「も…申し訳ありません。止めようとはしたのですが…」
「警備のものはどうしたのだ!」
「あれは国家騎士団を率いる男。この国の中であの男に敵うものは…」
「言うな、忌々しい!」
アドスは腹を立てながら、慌てて身支度を整えた。きらびやかな衣装は、王としての威厳を保つためにはまったく役に立っていなかった。
男はその様子を見ながら、ブルーにちらりと目をやってそわそわと身体をゆすった。
「陛下、あの男は当てずっぽうでここに来たに過ぎないはずでございます。私めはつけられるようなことはしておりませんから。それに、ここにブルー様がいらっしゃることは気がついていないはず…。」
「もうよい!」
びくびくしながら言い訳をする男を一喝し、アドスは足音荒く、ドアを開けて部屋を出て行った。
「あ…陛下、お待ちを…!」
男もそのあとをついて、落ち着きなく部屋を出て行った。
…ジョミーが…来ているのか…?
二人のやり取りでは、どうやらそうらしい。しかも、城の守備兵と争ってまで城内へ入ってきているらしい。国家騎士団の長としては決して誉められた行いではないが、その守るべき王の醜い姿を目にした身としては、ジョミーの行動が間違っているなどとは思えなかった。そんなことよりも。
もしかして、僕を探して…?
国家騎士団長の立場としては、たとえどんなに最低最悪な暴君だろうが、その住まいである城に押し入るようなことをしてはまずいだろう。そんなことさえ考えつかないほど、ジョミーは僕のことを心配してくれた…と思うのは…あまりにも身勝手な考え方だろうか…。
そこまで考えたとき、ドアが控えめにノックされた。それにどきりとする。
まさか…。もう、アドスが戻ってきたのか…? 当然、先の続きをするだろう。あの…大きなものを、僕のあそこで…。
そう思っただけで、血の気が引いた。の、だが。
「…私です、フィシスです」
ドアの向こうから聞こえてきたのは、涼やかな声だった。それにほっとしたと同時に、今度は別の意味で慌てる。
こんな姿をフィシスに見られたら…!
ブルーは自由にならない手で、足元でくしゃくしゃになっている上掛けを慌てて引っ張った。幸い、頭上に固定されている鎖は伸びたままで、自由に動ける範囲が広かったのは幸いだ。
かちゃりとドアノブが回り、最初にここに来たときに出会った少女がそっと顔を出した。その閉じられた目に、つい気が抜けた。自分の慌てぶりが、馬鹿のように思えて。
…そうだった、フィシスは目が見えないんだった…。
けれど、昔と変わらぬ聡い少女には違いない。それなら、こんな風に上掛けで隠すこと自体、意味があるとは思えない。それにこの特有のにおいに、何をされていたのか分かってしまうだろう。
そう思いながら、ブルーはそっと歩み寄ってくるフィシスを息をつめて見つめた。フィシスはためらいがちにベッドに近づいてきた。が、薄いレースの天幕は開けようとしなかった。
「ブルー…大丈夫ですか?」
それにはなんと答えてよいのか分からない。フィシスは返事がないことに失望した様子もなく、顔を上げて窓のほうを見た。
「…今、ジョミーが来ています。けれど、彼はこの後宮までは入ることができませんし、あなたがここにいることも、知りません。」
「後宮…なのか、ここは…。」
それなら、この場所の存在を知らなくても無理からぬ話だ。自分がこの城に出入りしていたのは、ほんの子どものころのことだったし、そのときには王のハーレムたる場所の存在など、知る由もない。ましてや、フィシスの母である王妃は早世していて、フィシス自身小さいころから後宮にはいなかったはずだ。
「はい、けれど今は誰も住んでおりません。父は…いえ、王は数日前にすべての侍妾に暇を出したのです」
…侍妾全員に…暇を出した…?
それが何を意味するのか、分からないではない。おそらくアドス王は、ブルーの帰国と合わせてこの後宮を空にしたのだろうから。けれど。
その執着ぶりに…ぞっとした。なぜ男の自分にそこまで思い入れることができるのだろうか。いや。
王とはいえ、ここまで王宮を私物化してよいものだろうか。この後宮には、おそらく近隣の王族の縁者や、この国の重臣の娘もいただろうに。あまりよいこととは思えないが、国家間では政略的に婚姻を結ぶ風習がまだある。いや、家臣との間を親密にするために行われる場合もある。それを思えば、国家を変に孤立させるような真似は、国を守る王のすることとも思えなかった。
…リオは、この国に何かが起きているようなことを言っていた。『この国があなたを迎えるにふさわしい場所になったときに』。それなら。
…今の状態はいったい何なのだろう…?
「…ごめんなさい」
そんな思索にはまっていたら、レース越しのフィシスがか細い声で謝罪してきた。
「私にもっと力があれば、あなたをこんな目に合わせることなどなかったのに…」
ぽたりぽたりと何かが床に落ちる。はっとしてフィシスを見ると、閉じられた目からぽろぽろと涙がこぼれていた。
「…フィシス…」
「いいえ、せめて私が自由に動ける身でしたら、ジョミーにあなたがここにいることを知らせることもできるのに…」
フィシスは、もう一度ごめんなさいと詫びてきた。
「…君のせいじゃ、ない…」
ここに来たとき、フィシスは早く逃げるようにと警告してくれた。逃げることは事実上不可能だったのだろうが、それでもジョミーの力づくの制止さえ振り切ったのは、自分自身…。だから。
この事態を招いてしまったのは…僕自身…。だからと言って、甘んじて陵辱されるわけにはいかない。あの王のしたり顔を思い出すだけで寒気がする。何とか逃げる方法は…。
いろいろ考えてはみるものの、手首に枷をはめられ鎖で繋がれている以上、引きちぎることなど不可能だ。
「私も何とかジョミーと連絡を取る方法を考えてみます。私自身、もう1年以上ここから出られず、王宮に仕える以外の人と話をしたことがないのですが…」
「王女である…フィシスが…?」
愕然とした。その言葉に絶望感が広がるのを感じる。
それでは…この城から出ることなど、不可能なのか…? 一生…このまま…?
「すべては15年前、王が≪グランド・マザー≫と出会ったときから始まったのです」
10へ
ちょっとブルーがかわいそうになったので小休止。でも、小休止とは言えど、精神的にはトドメさしてるかも♪
次は昔話をして、それからもう一度ウラ入りvv |
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