『ずっとブルーを離さない。こうやって手を握っていれば、絶対に離れることがないから』
涙でくしゃくしゃになった顔で、この腕にすがりついていた少年の姿が目に浮かぶ。あれから十年以上の歳月が流れた。それでも、あのときの少年の姿や声は色あせることなく、ブルーの胸の中にあった。
「ブルー様? お疲れになったのですか?」
「ああ。いや、すまない。考え事をしていただけだ」
狭い馬車の中。赤い瞳の青年、ブルー・オリジンは窓をぼんやりと眺めながら従者に応じた。従者であるウィリアム・ハーレイは、そうですか、とうなずいてから目礼し、主人の思索を邪魔しないように再び黙り込んだ。
あまり立派とはいえない馬車は、がたごとと大きな音を鳴らせながらも夜道を進んでいく。故郷に向かう道のりは、遠い。それでも…。
…ようやく許されて、帰れるんだ。
そんなほっとした思いのほうが強かった。
国の大臣であった父の謀反からもう10年以上経つ。あのとき、まだ8歳だったブルーは、謀反の前日、母とともに父の親友で国家騎士だった男の家へ預けられた。ちょうどその家の子どもはブルーによくなついていて、ブルーと一緒に寝るんだとぴょうんぴょんと飛び回っていたことを、微笑ましく見守っていたことを思い出す。あの子の年のころは、4つだったか5つだったか…。
その子どものことは、ブルーも気に入っていた。やんちゃないたずら坊主を絵に描いたような子だったが、素直で明るい子どもだった。小さいからか、大きくなったら同性であるブルーをお嫁さんにするんだと公言してはばからなかったことも…思い出した。
…でも…もう忘れているだろうな。
何となく、ほろ苦いような気持ちになりながら、そんなことを思う。
いや、忘れていなくても、そんな子どもの戯れ言を引きずっているはずはない。あの子はもう15,6歳になっているだろうし、人もうらやむような精悍な若者に成長しているはずだ。彼の父は国家騎士団の団長だったし、あの子はその跡取り息子だったのだから、文武に秀でた、美丈夫になっているだろう。…幼いながらも、王者の風格を備えていたあの子のこと、さぞかし女の子にモテているに違いない…。
そんな思いにふけっていたブルーだったが、馬車がきしみを上げながら急停止するのにははっとした。
「どうした!?」
ハーレイが御者に向かって怒鳴った。
「失礼、ブルー・オリジン殿の馬車とお見受けしますが」
外から若い男の声が響いた。
「…そなたは?」
警戒心を隠すことなく応じたハーレイは、馬車の小窓を開き、相手を伺った。しかし、暗いため顔がよく分からないらしい。
「私はテラ国の国家騎士団長、ジョミー・マーキス・シンが配下、リオ・クリステンセンと…」
「リオ!?」
その名前に反応して慌てて馬車のドアを開けて…びっくりした。
真っ暗なうっそうとした森の中、背の高い青年が立っているのが見えた。その亜麻色の髪、優しげな顔つきには見覚えがある。相手もブルーを目にした途端、固そうな表情を崩した。
「…ブルー様、お久しぶりでございます」
リオは、父の謀反の前日に預けられた家の執事の息子だった。当時は10歳くらいで、ブルーよりも少しばかり年上だったから、今は22、3歳くらいなのだろう。
「リオ、『様』はいらないよ」
自分は、そんな呼び方をされるようなものではない。謀反人の子どもなのだから、と心の中でつぶやいてから、馬車を降りた。
「本当に久しぶりだね。すっかり立派になって…」
「いえ、ブルー様こそお元気そうでなによりです。あなた様のことは、団長がいたく気にかけておりまして」
「そういえば…」
ふっとブルーの頭に浮かぶ疑問。
「今、君はジョミーのことを、『国家騎士団長』と言わなかったか…? ウィリアム・シン団長は引退なさったのか?」
父の親友で国家騎士団の団長であった男。この男の存在がなければ、母と自分は父ともども殺されていただろう。
「前団長は…亡くなりました。2年前に…」
その言葉に愕然とする。
「どうして…? 何が原因で?」
「急なご病気でした。亡くなる5日前に倒れられてそれっきり…。突然のことでしたが、そのころには現団長は国家騎士団の優秀な剣士で知られておりましたから、特段の混乱もなく団長引継ぎとなりました」
そう言われるのに、ほっとした。
「そう、か。ジョミーは元気なのだな?」
「はい」
ジョミーというのはほかでもない、ブルーを慕っていた件の子どもなのだ。いや、国家騎士団の長ともなれば、子どもなどとは言っていられないが。
「ブルー様、このようなところで立ち話は…」
そう思っていると、後ろからハーレイがささやきかけてきた。
「あ、ああ、そうだな。リオ、僕たちは王城に行く途中なんだ。王から、過去のことは水に流すので戻ってくるようにという書が届いたから…」
「では、私どもがお送りします。この馬車では時間がかかりそうですので」
故郷を目指す旅のことは、とっくに知っていたらしい。少し驚いたブルーだったが、相手は王宮の正規騎士なのだからそれも当然か思いなおした。そうでなければ、こんな森の中で声などかけてくるまい。
「そうか、それならありがたい」
あまりお金もなかったので一番安い馬車にしたが、確かにこれで王城へ乗りつけるのは、あまりよいこととは言えないかもしれない。
そう思ってハーレイを促そうとしたとき、暗闇からもう一人の人物が現れた。だが、フードを目深にかぶっていて顔が見えない。
「お変わりないようで何よりじゃ、ブルー殿。儂を覚えておるかの?」
しわがれた声にブルーは目を見開いて。
「…ゼル…?」
そう、つぶやいた。すると相手は、フードを取り、にやっと笑った。はげ頭の気難しそうな顔が、ひどく嬉しそうに見えるのが不思議だった。
「覚えていてくれたか。そうじゃ、お父上の盟友であった老騎士ゼルじゃ」
目の前にいる老人は、記憶にあった父の友人ゼルとまったく変わっていない。
「もちろん覚えている。よく剣の相手になってくれたゼルのことは忘れない」
「それは嬉しいのう」
ひとしきり笑って、ゼルはブルーの背後に目をやった。
「ハーレイ、おぬしも相変わらずふてぶてしそうな面構えじゃの」
「ぬかせ、そっちのほうこそもっと人相が悪くなったんじゃないのか」
ハーレイとゼルは旧知の仲だ。そんな遠慮会釈のないやり取りに、ブルーは本当に故郷に戻ってきたんだと実感した。
「では、ブルー様。どうぞこちらへ」
頃合を見計らったように、リオが声をかけてきた。その先導しようとする先に、今乗っているものよりもはるかに豪華と思しき黒い馬車が待っているのが見える。
移動しようとしたとき、傍らの老騎士が声をかけてきた。
「ブルー殿、頼みがあるのじゃが…。ハーレイとは旧交を深めたいので、少しばかりこの大男を借りてよいだろうか?」
「おい、ゼル。大男とは誰のことだ? 大体、私の使命はブルー様をお守りすることなのだぞ?」
…そんなやり取りにも、二人の仲のよさがよく分かる。
「構わない、僕はリオと先に行っているから」
せっかく昔の友と会えたのだからゆっくりすればいいと伝えてから、ブルーはリオとともに歩き出した。
それを見送ってから、ゼルはハーレイを伺った。
「ところでおぬし…国を離れて十年余り、剣の腕は衰えておらんじゃろうな?」
「何を言う、失礼な! このハーレイ、猛者が何人かかってこようがびくともせん」
そうハーレイが胸を張ると、ゼルはにやりと笑った。
「…それならいい」
その様子に、ハーレイはわずかながらの不安を覚えたのだった。
「ジョミーはどうしているんだ? 今、年のころは…15、6くらいか?」
旧知に会えた気安さから、ブルーは馬車を乗り換えるなりそう切り出した。
「そうですね、来月の誕生日をお迎えになると、17歳になります」
あの子どもが17歳…。
ジョミーは小さな愛らしい子どもといったイメージが強かったが、もう立派な青年になっているらしい。
「そうか…。けれど、想像がつかないな。あのジョミーが…」
『ブルーが大好き』と、会うたびに抱きついてきていた太陽のような少年。それが…17歳に…。
「…お母様は、お亡くなりになったそうですね」
そんなことを考えていると、リオはためらいがちに声をかけてきた。
「ああ。もう5年になるか」
今回の帰国は、母の形見だけでもこの地に戻してやりたいと思ったから。父は反逆者とはいえ、生前の功績により手厚く葬られたと風の頼りに聞いた。それは、ジョミーの父の尽力の賜物だったとも。ブルーたちが亡命できたのも、彼のおかげだった。その隣にでも母の思い出の品を埋めてやりたいと思ったからだったのだが…。
「…亡命したままだったけれど、安らかに逝ったよ。母は、ウィリアム卿にはとても感謝していた」
そうですか、とリオはうなずいた。これ以上続けると、湿っぽい話にしかならないと思って、ブルーは再び話題を戻した。
「それよりジョミーのことを教えてもらえないだろうか。団長と言ったが…それだけの地位にあれば、さぞかし社交界でもモテることだろうな。それに…もう17なら、け、結婚…とか…」
つい口に出してしまった心臓が飛び跳ねてしまったが…それを自分の耳で聞いて、さらに慌てた。だが、それを聞くとリオは、ああ、と微笑んだ。
「そうですね。ジョミーもそんな年なのでしょうけれど、本人は女性にはまったく無関心でいらっしゃいます。ジョミーのことを憎からず思っていらっしゃる姫君も多くいらっしゃるのでしょうけれど、張り合いのないことこの上ないと思いますよ」
リオの言葉にどこか安心する自分を感じて、ブルーは戸惑っていた。
2へ
というわけで始まりました、成長したジョミーに焦るブルー! ていうか、これからサイテーな展開が待ってるんですけど! しかも、ブルーにとっては、大手振って王宮に帰れるはずなのに、拉致監禁という屈辱以外の何物でもないものなんですけど!!
もう、最後の最後に惚れなおされりゃそれでいいーというノリで今後進みます♪ どうぞよろしくでございますー!
ちらちら出ておりますが、ブルーは反逆者の息子という不名誉な立場におりますので! |
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