見つかってよかったという消防署員たちの喜びの声の中、ブルーはフィシスをしっかりと抱きながらもシンの姿を探した。けれど、彼の金髪はどこにも見えない。
「見たところ怪我はなさそうだが、とにかく病院へ行こう。今、救急車を手配した」
「は…い…」
もう、帰ってしまったのか。せめて礼くらい言いたかったのだが…。あの自信たっぷりの態度にいつも苛立って、小言くらいしか言っていないというのに…。
そのとき、向こうのほうから男の声が聞こえてきた。
「なにするんだ、離せっ!」
…なんだ…?
ふと声のした方向に目を向けると、シンの金の髪が見えた。しかし、彼はひとりではなかった。
「怪しいな。そっちこそ一体なにをしていたんだ…?」
「…先生?」
そう、フィシスの通う、特別支援学校の教諭だった。フィシスもその男の声には、こちらにしがみついていた身体を起こした。まわりにいた人間も、一斉にその方向を見る。
「…どうかしたんですか?」
バスの当番にもならない先生で、こんなところに来るはずはないんだが…。
そう思って聞いただけなのに、なぜかその教諭はえらく慌てていた。
「さ…っ、最近彼女のまわりを不審者がうろついているようだったから…っ、気になっただけだ!」
「…そうですか。それはどうも…」
「気になってここに来てみたんだ! そうしたら、君たちの家が火事で焼けているし、この男には有無を言わさず引っ張られるし…!」
そう言われて、ブルーはシンを見つめた。だが、シンは落ち着いたものだった。
「シン…。彼はフィシスの学校の教師で…」
「ああ、なるほど。それでよく知っているわけなのか」
にやりと笑うシンに、首をかしげる。
なんの…ことだ…?
シンはさっと男の胸ポケットに手を差し込み、何か黒いものを取り出した。
「これは、あんたの携帯電話だな?」
「…! 何をする…っ!」
男は慌てて取り返そうと手を伸ばしたが、シンの背のほうが高く、携帯電話を持った手を高々と上げてしまったため、届かない。さらにシンは掲げた片手でぱくんと器用に電話を開けると、これまた器用に操作した。
「や…っ、やめろ!!」
男は必死になってシンから電話を取り上げようとするが、まったく効果が上がらない。
「おや。発信履歴に似たような番号が並んでいるな。ブルー、この番号に覚えはありませんか?」
そう言われると同時に、ひょいと電話が宙を舞って、ブルーの足元の草むらに落ちた。不審に思いつつも、開いたままの電話を拾い、羅列されている番号を見た途端、背筋が凍った。
「よせっ、返せぇ!」
…これは…。
「あなたの家の電話番号ですよね? 履歴件数の関係で2,30件くらいしか載っていませんが、公式に電話会社へ照会をかければ、もっと多いと思いますよ。ああ、彼の自宅や、もしかしたら学校の電話番号からの発歴を調べても、同じ番号が出てきそうな気がしますが」
ブルーは発信履歴を見てから、その教師を見つめた。
…じゃあ…ストーカーの犯人は…。
フィシスはと見ると、やはり蒼白な顔をして固まってしまっている。男はがっくりとうなだれて、もうこちらを見ようともしなかった。
「警察に引き渡しますよ。それでいいでしょう?」
シンは微笑みながらそう言ってから方向を変え、呆気に取られている警察官に男を突きだした。
こうして、ストーカー事件はフィシスの発見と同様あっという間に解決をみることとなった。その立役者であったシンには、まわりから感謝状だの表彰だのという話が出ているようだったが、やんわりとだがしっかりと断っていた。
「当然のことをしたまでですから」
いつもの嫌味なほどさわやかな笑顔までくっつけて、シンはそう言って彼らに背を向けた。そして、半ば呆然としているこちらに向かって歩み寄ってきた。
「あ…」
なんと、このときまで僕はシンにかける言葉が見つからず、ずっとシンを眺めていただけだった。何か言わなければと思っていたことさえ、頭の隅に追いやられていた。
「よかったですね、とりあえず一件落着ですが」
そう言って微笑みかけられるのに、やはり何も言うことができない。シンはそんなブルーの内心など気にせず、すっかり焼け野原となったあたりを見渡した。
「…これから大変ですね。僕にできるのは、こんなことくらいしかありませんが」
え…? と思っていると、シンはさっとブルーの手に何かを握らせた。慌てて見ると、紙幣が十数枚を筒状に丸めたものがあった。
「こ、こんな大金、いったい…!」
「あなたとデートしようと思って用意しておいたんですが、それどころじゃなさそうなので」
「だからと言って…!」
「ねえ、ブルー。あなたの全財産は、今焼け落ちた家にあったんでしょう? 預金くらいなら通帳の再発行の手続きをすれば取り戻せるでしょうが、すぐに銀行が手続きしてくれると思いますか? ましてや今はもう夕暮れだ、どうしても明日以降になる。では、今晩の宿はどうするんですか? とりあえずホテルに入るにしても、当座のお金は必要だ。頼りになる親戚でもいるのなら別ですが、そんな血縁者がいるくらいならこんな郊外で未成年の二人暮らししていることはないでしょう」
シンの言葉はいちいちもっともで、反論すらできない。
「だから、これは差し上げます」
「でも…!」
「この程度のはした金で四の五の言わないでください。こっちが恥ずかしいじゃないですか」
「こ、これははした金なのか、君にとっては!」
「少ないくらいでしょう、こんなものでは。このあと、アパートを借りるにしてもマンションを買うにしても、物入りだ。それに、あなたの場合家具一式をすべてそろえなきゃいけないんだから。火災保険に入っていればまだいいのですが、学生の身の上ではどうでしょうかね。ご両親が生前に何年間か分一括して先払いしていることを期待しましょう」
そう言って、にこりと微笑む。しかも、やたらとシンがこちらの内情に詳しいようだったが、今はまったく気にならなかった。
「しかし…」
「それに、あなたひとりだけならまだしも、年頃の妹さんを野宿させるのはどうかと思いますが」
言われて、ふと傍らの存在に目をむける。今回のことで、恐ろしい思いをしただろう、妹。蒼白な顔色でしっかりと腕にしがみついている様子に、もう一度手に握らされた紙幣を見つめた。
「…分かった。けれど、これはなるべく早く返すから…」
「差し上げるといっているじゃないですか」
今度は呆れたように苦笑いされる。そのシンがふと顔を上げた。同時にサイレンの音が聞こえてきた。
「救急車が来ましたよ。じゃあ、僕はこれで帰りますから」
そう言うと、くるりと背を向けてバイクのある方向へ向かった。
「シン…!」
「運動会。初めて参加しましたが、なかなか楽しかったですよ」
振り返りしな、そう笑いかけてからシンはバイクにまたがる。そして、救急車の到着と同時にエンジン音を響かせながら走り去ってしまった。
「あ…」
はっと我に返る。うっかりシンに、「ありがとう」の一言さえ言っていないことにようやく気がついた。
…仕方ない、学校に行ったときにでも…。
しかし、その後火事の後始末やら警察の事情聴取やら、はたまた新しい住居探しやらで多忙を極め、結局学校に行けたのはそれから二週間してからだった。特に住居は、こんなことが二度とないようにセキュリティのしっかりしたところをと思って慎重に探していたため、余計に時間がかかったのだ。シンの言った火災保険には加入していなかったが、幸い家が建っていた土地が売れる目処が立ったため、狭いマンションなら買うことができた。
だが、もうすぐ予鈴が鳴る時間なのに、例によってシンはまだ姿を現さない。
…まったく、人が素直に礼を言おうと思っているのに…。
今日もサボりか、と思ってもう一度教室の中をぐるりと見回したのだが、何か違和感がある。その理由が分からず、ブルーは戸惑った。
「シンは…休みなのか?」
だから。火事を心配して集まってきたクラスメイトに問いかけた。すると、彼らは一瞬顔を見合わせ、そのうちのひとりが言いにくそうに口を開いた。
「あいつ、転校したんですよ」
休んでいたから知らなかったんですね、と言われるのに…言葉が出なかった。
「…転校ってことにはなってますけど、実際は退学処分だったみたいですよ。何でも運動会が終わったあと、バイクで暴走行為をしたとかなんとか…」
そのときにようやく分かった。いつもシンが座る席がなくなっていたことに…。
8へ
…てな展開で…。ああ、無茶苦茶寝覚めの悪い消え方…。 |
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