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      学級委員でさえなければ、こんな不愉快な男とはもう話したくない。そう思っていたブルーだったが、幸いと言うかなんと言うか、その後シンと話すことはあまりなくなった。まずフィシスのことがあるから、ブルー自身用がないときにはなるべく早く帰るようにしていることと、学級委員は運動会の役員を兼ねるため授業以外教室にいることはあまりないことと。さらに、いつの間にかシンは赤団の主要メンバーのひとりになっていることもあって、シン自身も教室にいない。しかも、彼の場合授業も平気でサボるのだ。これは当然運動会のためではない、単にシンの不真面目さによるものである。
 サボタージュの件は、学級委員として注意しようかとも思ったが、運動会の準備にはきちんと加わっているようだから、まあいいかと。あの性格だから、きっとまわりから総スカンを食っているだろうなと。
 そんなことを考えつつ、授業開始の予鈴を聞いていると、てっきり今日もサボるとばかり思っていたシンが隣の席に座った。
 …珍しい。今日は授業に出るつもりなのか。
 ブルーはシンを横目でちらりと見た。だが、今のシンは何か気がかりなことでもあるようで、ブルーの視線に気がつきもしない。珍しく物憂げな様子だ。
 …いつもなら、こっちから目を向ければ視線に気がついて笑顔くらい返してくるのに。
 そうなのだ。シンはどういうわけか、見つめていると視線を感じるらしく、すぐにこちらを向いて笑いかけてくる。一体どこに目がついているのだか。勘が鋭いといえばそうなのだろうが、それも無理があるような気がするけれど…。
 そこではたと我に返った。
 まるでシンが気づかないことに不満があるみたいじゃないか!
 ブルーは慌てて自分の考えを払って前を向いた。ちょうど先生が入ってきたので、号令をかけてから教科書を開く。そして筆箱を開けようとして、またシンを盗み見た。
 でも…どこか上の空のようだし…。身体の具合でも悪いんだろうか。いや、彼に限ってそんなことはないか。
 いつもは喋りたくないと思っていても、こうなるとなぜか気になる。そのシンは、授業に集中する様子もなく、ぼんやりとした様子で窓の外を眺めている。教科書を開くでもなく、ノートを取るでもなく。
 …まったく。たまに授業に出ても、先生の話など全然聞いていない。
 シンの素行はすぐにハーレイの知るところとなり、何度か注意を受けているそうなのだが、一向に改善されない。相変わらず授業には出ないし、それどころか最近では先生の呼び出しにも応じない。それでも運動会の準備にだけは出ているというのだから、驚きなのだが。
 …窓の外の風景だって面白いものは何もないだろうに。平凡な街並み、街路樹の緑、そのはるか向こうに軍港。いつもの光景だ。
 ブルーはため息をひとつついて、視線を教壇に戻した。しかし、いつもは嫌味なほど微笑みを浮かべるシンの憂いを含んだ表情が頭から離れなかった。
  そうこうするうちに、運動会当日を迎えた。…今日は役員会で打ち上げをするとか言っていたが、断ろう。相変わらず不審者は捕まらず、不安な日々だ。フィシスも笑顔を浮かべてはくれるが、内心怖いだろう。
 ブルーは本部備品のチェックをしながらふっと手を止めた。
 …それとも、あんな一軒家は手放して、セキュリティのしっかりしたマンションにでも入ったほうがいいのだろうか。住宅街にいるわけでもなく、隣近所も離れている。周囲の住民の目も届かないし…。
 「どうしたんですか、ぼんやりして」
 ふと、聞き覚えのある声がかかった。顔を上げればいつもの整った笑顔が目に入って、何となくほっとする。その反応に、シンは一瞬びっくりしたような表情を浮かべたが、次にはにこりと笑った。
 「僕の顔に何かついてますか? 嬉しそうな顔をしてますけど」
 だが、そう言われるのにははっとした。
 「だ…っ、誰が嬉しそうなんだ!」
 「もちろん、あなたですよ。照れますね、久しぶりに声をかけたら微笑んでくれるなんて」
 「そんなわけはない!」
 その様子にシンは笑ってから選手集合場所に目をやった。
 「さて、そろそろ出番だ。1位でゴールしますから、見ててくださいよ」
 「なんで君なんか見てなきゃいけないんだ…!」
 今から200m走である。シンの最初の出場種目だ。その後は1,500m走に出るらしい。短距離、長距離とも出場するとは、大変なことである。
 だが、シンはそんなことなど何とも思っていないようで、何の気負いもなく「じゃあ、またあとで」とブルーに手を振ると集合場所へ走っていった。
 …なぜわざわざこんなところへ寄ったんだ? 赤団の待機場所から直接選手集合場所へ向かえば早いのに。
 「あいつって、自信家ですよね」
 呆れてシンを見送っていると、キムという同じ運動会役員が苦笑いして声をかけてきた。キムは隣のクラスの学級委員で、やはり運動会の運営の一部を担当している。
 「俺、同じ赤だからたまに話すんですけど、あいつってこっちがびっくりするくらい自信過剰で自惚れの強い奴ですよね。でも、それがまったく当たってないわけじゃないところがしゃくなんですけど」
 言葉の持つ意味にもかかわらず、キムは楽しそうにそう言う。
 「…それは…まわりから相当嫌われているだろう」
 だから、確認を取る意味でそう言ってみたのだが、キムはおかしそうに笑って首を振った。
 「あそこまで高慢ちきだと、むしろ憎めないんですよ。そりゃ、女の子に人気があるっていうねたみはありますけど、根暗な奴じゃないし下級生のフォローだってしてくれますしね」
 それを聞いて、不思議な気分になった。
 …そんな奴には思えなかった。ここに来たときには集団行動は嫌いだと言い放ち、実際授業さえ真面目に出ない不良学生だばかり思っていたのに…。
 「そう…なのか?」
 「普段は人を小馬鹿にしたようなことばかり言いますが、勝つためにはどうすればいいかということを団員にアドバイスしてましたよ。スタートのこつとか走り方とか、長距離のペース配分とか。足の遅い奴はいまさらがんばっても仕方ないから、頭を使えって。そういう言い草には腹立ちますけどね」
 でも、あそこまで高飛車だと逆に嫌味がないんですよ。
 …団の中で敵ばかり作って浮いているのかと思いきや、そうではないらしい。面白そうに喋っていたキムは思い出したように、あ、と小さく声を上げた。
 「俺、次、順位旗持つ係でした! 行ってきますね」
 そう言ってキムは慌てて走ってゆく。その後ろ姿を見ながら、ブルーはなぜかがっくりしていた。
 …別に、落ち込む必要などないじゃないか。シンがみんなと打ち解けて、この学校になじんできたのだから。
 しかし。そう思うと、余計に気分が沈んだ。どうやらシンを、あんな傲慢な男を見捨てずに相手できるのは自分ひとりだとどこかで思っていたらしい。おまけに、みんなが知っていて自分だけが知らないシンの一面を思い知らされたような気がして、何となく落胆してしまった。
 …こんなつまらないことを考えるのは、きっと疲れているからだろう。最近、運動会の準備にも忙しかったし、フィシスのことでも悩んでいたのだから。
 そんなことを強引に考えながら、ブルーは本部席に座った。そのとき響いたピストルの音に顔を上げると、200m走の最初の走者が走ってくるところだった。
 …シン…だ。
 先頭を走ってくるのは、真剣な表情のシンだった。だが、そのときふっとシンの目がこちらを向いた。
 な…っ、なんで走っているときこっちを見るんだ…?
 競技に集中しろ! と内心叫んだが、シンはと言うとそれを見透かしたように笑った。おまけに、本部前を通過するときには片手を上げるほどの余裕に、ブルーはかっとなった。それでも…競技に集中していなくても速度は落ちなかったらしく、シンは予告どおり1位でゴールしたようだった。
 「ねえ、あれ誰に手を振ったの?」
 「ここにいる誰かよね?」
 執行部の女の子たちが嬉しそうにおしゃべりするのを背後で聞きながら、ブルーは固まっていた。
 な、何を考えているんだ、あの男は!
 そう思いながらもシンから目が離せない。けれど、次の瞬間にはその怒りはふっと消えうせてしまった。
 それはどこでも見られる風景。1位でゴールしたシンが、やはり1位の順位旗を持っているキムとハイタッチする姿。同じ色団で仲間同士だから当然の動作だったのだが…。
 どうしてかブルーはひどく惨めな気持ちになった。なぜかは分からなかったが。
 「もうすぐリレーですよ」「それがどうした?」
 運動会ももうすぐ終わりというころ。本部に来たシンは、ブルーを見つけるなり笑顔でそう言った。
 「次も1位でゴールしますから」
 「勝手にすればいいだろう、僕には関係ない」
 「どうしたんですか? 機嫌悪そうですけど」
 「すまない、君の顔を見ているだけでこういう表情になるんだよ」
 シンは団体競技にはあまり出ておらず、得点数の高い個人競技に多く出ている。そしてそのすべてが1位である。
 「それだけ意識されていると思っていいですか?」
 「…君はおめでたい奴だな。それに、リレーは個人競技ではないから、君一人の力だけではどうなるものでもないはずだ」
 そうなのだ。シン自身がいかに速かろうと、ほかのメンバーが遅かったりすれば、1位でゴールとはならない。そう思って言ったのだが、シンはふふんと笑った。
 「僕の前までで最下位になっていたとしても、400mの間に逆転しますよ」
 「大した自信だな」
 にやにや笑うシンを見ていたくなくて、ブルーは視線を外した。
 「さっさと行きたまえ。選手集合のアナウンスがかかるころだ」
 「そうですね、じゃあまた」
 やれやれ、やっと行ったか。
 シンの後ろ姿を見ながら、ブルーはほっと息をついた。
 こんなところに寄らなくてもいいのに、ヒマな男だ。しかし…。
 ブルーはシンから目を離し、物思いにふけった。
 今まで見ていると、シンは団員に慕われている様子が伺える。競技を終えて待機場所に戻ればひっきりなしに話しかけられる、競技に出ないときも団員から相談を受けているのか、はたまた無駄話をしているのか、やはり話しかけられることが多かった。
 どうでもいいと思っているのに…。
 そんな些細なことが気になる自分に嫌気がさした。顔を上げて得点数をみると、色団は4つある中で、赤は総合で2位。ちなみに青は3位。さらに、1位、2位、3位と、あまり点数の差がない。赤も青も、十分優勝圏内だ。ということは。
 …このリレーは、否応なく注目を集めざるを得ないな。
 そう思いつつグラウンドを見ると、最後の競技を見ようとほぼ全員がトラックのまわりに集まっているのが見えた。
 「シンを見ようと思っている奴が連中の何十パーセントなのか、考えるだけでむかつきますね」
 隣に座るキムが苦笑いしながらつぶやいた。
 「…君は行かないのか?」
 お祭り騒ぎの好きなキムにしては珍しく本部につめていると思っていたら、彼はにこりと笑った。
 「ここでも十分見えますし、ゴールテープは本部前に張られるじゃないですか」
 そう言われるのに、なるほど、と思った。むしろ、本部のほうがゴールの瞬間は見やすいのだ。それで、この周辺も人が多いのかもしれない。しかも女の子が多いように見受けられる。
 確かに外見は悪くないから…。
 シンの整った目鼻立ちを思い出して、ブルーはため息をついた。
 場内アナウンスが、最後の競技の案内をする。その最後の競技であるスウェーデンリレーは、走者が変わるごとに100mずつ距離が延びていくリレーだ。第1走者が100m、次は200m、その次は300mといった感じで。第1走者と第3走者は女子生徒、第2走者と第4走者は男子生徒を選出する決まりとなっている。
 パン、というピストルの音が、競技の開始を告げる。最初こそあまり差がないが、第2走者、第3走者とバトンが渡るにつれ、差が開いてくる。しかし、第4走者の走る距離が長いため、アンカーの脚力如何によっては勝負をひっくり返すこともできる。
 ぼんやりと考えていたブルーは、まわりの歓声にふと我に返る。バトンが第3走者に渡ったところだった。1位で走っているのは、自分が所属している青だ。赤はと見ると、3位だった。
 …いくらシンでも、これは無理だろう。
 そう思ってバトンリレーを待っているシンに目を向けると、シンはその途端にくるりとこちらを振り向いた。そして、ブルーに向かってにこりと笑うと親指を立てたのだ。
 な、なんで分かるんだ? いやそれよりも、この状況でまだ勝つつもりでいるのか…?
 すでに1位とは100m以上の差が開いている。
 …本気で、逆転するつもりなのか…?
 これでは勝てるはずがない。しかし、シンの笑みを浮かべた口元が言葉を形作る。
 『青には申し訳ありませんが、勝たせてもらいますよ…?』
 常識で考えれば、目の悪い自分がシンの唇の刻む言葉を正確に読めるはずがない。でも、そのときにはそんなことなど考えなかった。
 
 
   
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        | と言うわけで、スウェーデンリレー、始まりました! ところで、やたらと気配に敏感なシンは、ミュウ設定そのままです。あ、それよりも敏感かも〜。てことは、シンにとってブルーの内心は筒抜けなわけですね! |   |