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    翌日からシンは、正式にこの学校へ編入してきた。「ジョミー・マーキス・シンだ。今日から皆のクラスメイトとなる」
 簡単なハーレイ先生の紹介に、女子生徒からは熱いまなざしで、男子生徒からはやっかみを含んだ視線で迎えられたシンは、当然のようにブルーの隣に座った。やはり、まだ制服は出来てきていないようで、シンは前の学校のものと思しきものを着ていた。それがまたシンを大人びて見せている。
 「よろしく、学級委員さん」
 にこりと笑う、その笑みも人を惹きつけるだろう。ブルーは返事をせずにシンから視線を外した。
 …校内案内は昨日終わったし、あとは日常のこまごまとしたことだけだ。それも、1,2週間程度のことだ。そうでなくても、すぐに運動会の準備や文化祭の準備が来て、嫌でも彼はクラスに溶け込むことになるだろう。
 …それまで我慢すればいいことだ。
 そう思って、ブルーは前を向いた。
 「…運動会?」「そうだ、ちょうど二週間後にある。君は赤団だそうだ」
 こういうとき、学級委員とは面倒な役だと思ってしまう。先生方も、シンに直接言えばいいのに、ブルーを伝達役にしてくる。もちろん、普段ならそれに否はないのだが、相手がこの傲岸な男だと思うだけで、気分が悪い。
 「これから色団ごとに集まって参加競技や応援合戦のミーティングだ。赤は視聴覚室に集合することになっている」
 まわりはすでに移動を開始している。おまけにこのクラスは、執行部のミーティング会場らしく、腕章をつけた学生や担当教師がちらほら見える。
 「あなたは?」
 「僕?」
 …僕が…なんだ?
 きょとんとしていると、シンはくすっと笑った。
 「あなたは何団なんです? 僕と同じなら嬉しいんですが」
 「そ…そんなこと、君に関係ないだろう!」
 反射的に怒鳴ってからブルーははっとした。どうせ、すぐに分かることだというのに、ついシンの顔を見ているだけでかっときてしまったようだ。
 まわりは、穏やかな前生徒会長の一喝に、驚いて会話を止めている。その様子を肌で感じ、ブルーは小さく頭を下げた。
 「…いや、すまない。僕は青だよ、君とは違う」
 「それは残念だ。じゃあ、そんなものに参加するのも馬鹿馬鹿しいし、僕は出ませんよ。ついでに文化祭も」
 なぜそうなる…っ?
 シンの思考回路事態がよく分からない。
 「待ちたまえ!」
 話は終わったとばかりにかばんを持ってきびすを返そうとするシンを、ブルーは腕を取って引き止めた。放っておけば、帰ってしまうに違いない。
 「君は学校を何だと思っているんだ…! 運動会も文化祭も大切な学校活動の一環だ、出席しないとはどういうことだ!」
 その怒鳴り声に、まわりは水を打ったようにしんとしたが、今度は気にもならなかった。
 「最初に言ったでしょう。僕は、集団行動なんか取る気はさらさらないんです」
 シンはそんなブルーに対して微笑みを絶やさずに答えた。
 「君が集団行動が嫌いだろうが関係ない。この学校の生徒なら、学校行事に参加する義務があるだろう!」
 ブルーの真剣な様子に、さすがにシンの表情から笑みが消えた。
 さすがに聞き逃せない。こっそり抜けるくらいならまだしも、こんなに堂々と学校をサボる宣言をされて、自分の立場なら見逃すことはできないだろう。それに、こんな特例を許していては、同じように勝手に行事をサボる学生が出てくるかもしれない。
 「…そうですね、すみません」
 そこでブルーははたと我に返った。
 謝罪の言葉だけでなく、軽くシンに頭を下げられるのに、つい呆然としてしまった。今度はどんな屁理屈をこねてくるか身構えていただけに、拍子抜けした形となったくらいだ。
 シンはまわりを見渡してから、微笑みながらブルーを振り返った。
 「集合場所は視聴覚室でしたね。3階でしたっけ」
 そう言われるのにはっとして、慌ててうなずく。
 「あ…ああ、新館の3階だ」
 分かりました、と今度はにっこり笑うと、シンは悠然とした足取りで教室を出て行った。まさかこんなに素直に言うことを聞くとは思わなくて、ブルーはそれを呆然と見送ってしまった。
 …どうしたんだろう、何か企んでいるんだろうか…。
 そんな風に思ってしまうブルーを責めることはできまい。一応、赤団の集合場所に行ったかどうかあとで確認すればいいと思って、振り返って。
 執行部の面々の唖然とした顔に出くわした。
 …しまった、場所も考えずに怒鳴ってしまったから…。
 その場は適当に笑ってごまかしてから、ブルーはクラス役員の席に着いた。学級委員は執行部と同じで、運動会の世話係となるのだ。
 …まあ、シンが素直に謝っただけでもよしとするか…。
  その後、ブルーは同じクラスの赤団の友人に確認を取ると、シンはきちんとミーティングに来ていた、という返事が返ってきた。そうか、真面目に出ていたのか…。
 ほっとすると同時に気が抜けたというかなんというか…。
 しかも、その後参加競技を決めるため、転校生であるシンの100m走のタイムを計ったところ、平均よりもかなり速いということが分かり、あれならリレーの選手に選出されるだろうという話も聞かされて、目を丸くした。ちなみに、リレーは運動会でも最後の大勝負で、もっとも高得点を与えられる競技であるため、最下位のチームが優勝することも可能なくらいなのである。それゆえ、その選手はもっとも足の速いものが選ばれるのだが。
 …確かにシンは運動神経がよさそうだ。きっと、その外見と相まって運動会ではさぞかし目立つだろう。
 「…問題さえ起こさなければそれでいいが…」
 シンの嫌味に整った顔を思い浮かべてから、ブルーは自宅の門を開けた。
 …この時間なら、フィシスは戻っているだろうな。
 両親はすでになく、ブルーは妹とふたりでこの家に住んでいる。妹のフィシスは12歳で、身内の身びいきをのぞいてもかわいらしい少女である。
 「おかえりなさい、お兄様」
 「ああ。ただいま、フィシス」
 かわいいのだが…妹は目が見えない。一歩一歩確認するようにゆっくりと歩いてきた彼女に手を差し伸べる。手と手が触れあったとたん、フィシスは花が咲いたように笑った。
 「何か…嬉しいことがあったの?」
 自分まで嬉しそうに、そう訊いてくる。
 「? なぜだい?」
 「だって、お兄様の気持ちがふわふわしているような気がして」
 フィシスはたまにこんなことを言う。それは大抵当たっているのだが、今度は何のことか分からなかった。だが、そのうち何となく納得できる部分があることに気がついて、苦笑いした。
 「まあ…嬉しいかどうかは分からないが、問題のある転校生が真面目に運動会に出てくれそうなんでね」
 「そうなの」
 フィシスはにっこりと微笑んだ。
 「それよりも、今日はどうだった? 電話には出ていないだろうね?」
 「う、うん…」
 途端にしゅんとしてしまう。
 「何かあったんだね?」
 「う、ううん、大丈夫!」
 最近フィシスは変質者に狙われているようで、それはフィシスの通う学校――特別支援学校であるが――の教師からも聞いている。最近、帽子を目深にかぶりバンダナをマスクのように巻いている、いかにも不審な男が学校内の敷地に出没するようになったと。しかも、それだけ目立つくせに、なぜか捕まらないようだ。追いかけても逃げられる、あらかじめ待ち伏せしていると現れない。犬並みに鼻が利くのだろうかと思えるほどだ。
 その男があろうことか、この周辺で見られるようになったというのだ。しかも、どうやらスクールバスで送迎されるフィシスが目当てらしく、バスに乗り合わせた教師が何度も目撃している。しかし、バスの添乗は女性教師が担当していて、男を追っていって捕まえるということはできない。その代わり、フィシスが家のドアの鍵を開けて中に入って再び鍵をかけるまで見守ってくれている。
 だが、それだけでは終わらず、どうやって知ったのか、最近その男と思しき人間から電話までかかってくるようになったというのだ。
 フィシスが電話に出れば、わいせつな言葉を電話口でつぶやくらしいのだが、ブルーが出れば切れてしまう。
 おかげで、窓を開け放すことも恐ろしくてできない。それどころか、ガラス窓を完全に塞いでしまっているため、家の中はひどく暗い。
 「フィシス?」
 「本当に、大丈夫だから…」
 健気に首を振るフィシスに、ブルーはため息をついた。
 「どんな些細なことでも、不安なことは話してほしいといったはずだよ?」
 「う…うん」
 「じゃあ話してくれ」
 うん、とフィシスはうなずいてから、申し訳なさそうに口を開いた。
 「…何度も電話がかかるから、出たの。そしたら、『閉じこもっているのなら、こっちにも考えがある』って…」
 …こんなとき、守ってくれる両親がいてくれたら、と思う。警察にも届けて、巡回回数を増やしてもらっているのに、いっこうに男は捕まらない。
 「…分かった。とりあえず、明日はふたりで休もう」
 こんな不安そうな妹をひとり残しては行けない。
 「で、でも、お兄様は運動会の準備もあるんじゃ…。それに、お勉強だって…!」
 「運動会の準備は僕だけがしているわけじゃない。それに、僕は優秀だから授業を休んでも何ともない」
 そういいながら…ずっと休んでいるわけにはいかないけれど、と心の中でつぶやいた。
 翌日はふたりで学校を休み、散歩に出たりしたが、やはり男の姿はない。やはり、ブルーの前には現れないらしい。
 このあと、何も起こらなければいいんだが…。
 そんなことを考えながら、その翌日はフィシスが落ち着いているようだったので、スクールバスで学校へ送り出し、自分も学校へ向かった。
  学校に到着すると、執行部から運動会のタイムスケジュールとメンバー表を渡された。ああ、そういえば…。
 友人が、シンはリレーに出るかも知れないといっていたなと思い出し、最後の男女混合スウェーデンリレーに目を走らせると。
 『アンカー、ジョミー・マーキス・シン』
 …速いと聞いていたが、ここに配置されるということは、赤団で最も速いということなのだろう。
 そう思ってメンバー表を見ていると、隣に人の気配を感じた。
 「おはようございます。昨日はどうしたんです? 風邪ですか?」
 目を向けるまでもなく、シンだ。
 だが、その笑みを含んだ問いかけに答えるつもりはさらさらなかった。
 「関係ないだろう」
 「その調子では元気そうですね、よかった」
 そう言うと、シンは隣の席に座った。その間にも、ブルーの目は参加メンバーに目を通していたのだが、ふととんでもないことに気がついてシンを振り返った。今日のシンは、この学校の制服を着ていた。
 「…君は一体いくつの競技に出るんだ…?」
 シンは、こちらに顔を向けると、さあと微笑んだ。
 「5つだったか6つだったか…。でも、特段参加する競技数に決めはないと聞いてますが?」
 「それにしたって…」
 しかも、シンは得点の高い競技ばかりに割り当てられている。
 「あなたの前でかっこいいところでも見せれば、デートに応じてくれるかなあと思いましてね」
 「…馬鹿馬鹿しい!」
 …相変わらず千切れた男だ。何を考えているのかなど、分かりたくもない!
 「それとも、青に勝ちを譲ってあげたらオーケーしてもらえますか?」
 その台詞には、じろりとシンをにらみつけた。それに対してシンは、冗談ですよ、と笑った。
 「正々堂々とやりますよ、安心してください」
 …まったく、この男の笑顔を見ている、どうにもむかむかしてくる。
 そう思ってブルーはメンバー表に再び目を落とした。
 
 
   
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        | 今回のフィシス設定は、いつもとはちょっと違います。可憐な少女、と思ってくださいませ♪ところでスウェーデンリレー、ご存知でしょうか?? うちの学校(高校)ではやっていたのですが、第1走者が100m、第2走者が200m、第3走者が300m、第4走者であり、アンカーが400mで、4人で1000m走るという競技です。何となく、普通のリレーよりもアンカーの責任重大!といったものです〜。アンカーの脚力がかなりものをいうので、アンカー勝負で大逆転もありがちなのですvv(ちなみに、旦那は私が通っていた高校の近所に住んでおり、『なんちゅーあほなリレーやっとんじゃ』と思っていたそうです。)
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