「…まったく、お前という奴は…」
「すまない…」
真っ白の病室で、盛大にため息をついているのはキース・アニアン。そして、ベッドで申し訳なさそうに頭を垂れているのは、ジョミー・マーキス・シンだ。
「…ことが、お前だけで済めば俺だってくどくどと文句は言いたくない。俺まで巻き込まれるから、早く打ち開けろと言いたくなるんだ。大体だな、こうちょくちょく倒れられると、奴がいかに浮世離れした性格とはいえ、気になるだろうが。俺は奴から半時間も、お前に何か持病があるのかと、何度も聞かれたぞ」
「いや…っ、これは事故で…!」
「ああ! いつも事故だな、お前が高所恐怖症で前後不覚に陥るのは!」
「…そう、だな…」
悄然とうなだれたシンに、キースはため息をつくと、少し表情を和らげた。
「まあ、奴もお前のパイロットとしての立場があるから、表沙汰にするつもりはなさそうだが。…それよりも、あの女とはどういう話になったんだ?」
あの女とは、フィシスのことだろう。
そう言えば、あの女に高所恐怖症を治してもらいに行ったんだった…!!
それを思い出して、シンはがばっと顔を上げた。
「そうだ、あの女に頼む前に…!」
「事件に巻き込まれたのか」
お前も不運だな、と同情の目を向けてきた同僚だったが、シンとしてはそれどころではない。
「そうだ、銃! 僕が握っていた、拳銃は…!」
「ああ…」
キースは心持ち上を向いた。
「規格外だということで、警察が預かると言って持っていってしまったな」
「え…」
あの女に返さなきゃいけないのに…というか、あの流通ルートが限られるものを持っている僕のほうが不審者に思われてしまう…!
「と…とにかく、あの女のところへ行ってくる…!」
「…大丈夫なのか? まだ顔色が…」
「平気だ! それよりも、ブルーには絶対あのことは言うな! 絶対にだ…!」
「簡単に言えるくらいなら、俺だって苦労は…!」
キースがむっとして声を荒げたそのとき。トントン、と病室のドアがノックされ、返事を待つまでもなく、話題のブルーが顔を出した。途端にシンが凍りついたように動かなくなる。
ど…どこまで聞かれたんだ…? 『フィシス』という名前は出していないはずだが…。
「ジョミー、起きて大丈夫なのか?」
だが、そんなシンの内心などまったく気がつかなかったようで、ブルーはベッドから降りようとしているシンの姿に顔をほころばせた。
「え…ええ…」
どうやら、何も聞いてはいないらしい。シンはこっそりと胸をなでおろした。
「だが、まだ顔色が悪い。しばらく休んでいたほうがいい。僕がついているから」
「え…。いや…っ、そうもしていられ…いえ、もう大丈夫ですから!」
おたおたになりながらもシンはベッドから降りた。冗談ではない、さっきキースから、シンに持病がないかと30分間もブルーから問いつめられたと詰られたばかりなのだ。病室に居座られると、何を訊かれるか知れたものではない。いや、訊かれることはただひとつだ。
すっかり逃げ腰のシンに、キースはため息をつきつつ立ち上がった。
「じゃあ、俺は…」
帰るぞ、ときびすを返そうとしたキースは、がしっとシンに肩を掴まれた。信じられないくらいの反射神経だ。
この状況で帰るのか…? 僕を見捨てる気か…!? お前がいなくなったら、ブルーが何を言い出すか分からないというのに…!
シンの切羽詰まった目に、ひくひくとキースの頬が痙攣した。もともとの鋭い眼光も相まって、すごい迫力だった。
「今からキースとフライトの打ち合わせをすることになっているんですっ。じゃあ、談話室に行こうか、キース!」
談話室も何も、ここは個室だから何を喋っていても問題ナッシングだ。だが、ブルーにはその不自然さは分からなかったらしい。が、異様にテンションの高いシンにはさすがに違和感を覚えたようだ。ブルーは呆気にとられてから、キースに目をやった。
…本当にジョミーは大丈夫なのか…?
そんな視線を送られて、キースはただでさえ渋い顔つきを、さらに険しくした。
…なぜ俺がこんな目にあうんだ…。俺は何か悪いことをしたか…?
「ではブルー、またフライトのときに会いましょう! 行くぞ、キース」
言いながらシンはキースの肩を抱くと、何か言いたげなブルーを残して病室をすごい勢いで飛び出した。そのフットワークたるや、今の今まで点滴していたとは思えないくらいだった。
「ま…て、ジョミ…っ」
慌てて声をかけようとしたが、そのときにはふたりの姿は病室にはなく、キィとドアが閉まる音がそれに応えただけだった。ドアに向かって伸ばしかけた手も、力なく下ろされる。
「…君たちは、本当に…仲がいいんだな…」
そうつぶやいて、自分も病室を出ようとしたのだが、ふと足に当たったものを見て、目を丸くした。
あらぬ誤解を招いていることさえ露とも知らず、シンはキースを引っ張って談話室の入口までやってきた。
「…困った…」
ぼそりとつぶやいたシンだったのだが。
「困っているのは俺だ!」
怒りの表情のキースに怒鳴りつけられた。
「まったく…奴は結構思い込みが激しいんだ! おまけに、あの調子では本当に勘違いされてしまっただろうな…!」
「…勘違い…?」
何を…? と不思議そうにシンから見つめられるのに、キースはさらに目をつりあげた。
「口に出すのもけがらわしいが、お前と俺がデキてるということをだ!」
「…!?」
さすがにシンの顔色が変わった。
「どういうことだ…? なぜ僕たちが!?」
「俺が聞きたい!」
そう怒鳴ったキースだったが、気を取り直したように息を吐いてじっとシンを見つめた。
「…本当に知らないのか…? キャビンアテンダントたちの一部では、そんなうわさが立っているんだぞ。俺たちはよく同じ機に乗っているから、面白がっている女どもが多くてな」
「…そんなわけ、あるか!」
シンはそう吐き捨てた。
当たり前だ、こんな三白眼の男と何が悲しくてラブラブだとうわさされなきゃならんのだ! …確かに顔の造作は整ってはいる奴ではあるが…。
「ああ、そのとおりだ。だが、奴の誤解はそれとは別だ! あいつは…」
言いかけたキースだったが、ふとシンの背後を見て言葉を止めた。
「…?」
首をかしげて、「どうした」と問いかけようとしたシンだったのだが。
「…もう、いい。俺もお前らに振り回されるのはもう飽きた。このままでは今までの繰り返しにしかならんしな…!」
小さな声で毒づいたと思うと、キースはぐいっとシンの身体を引き寄せた。予想もしないキースの動きに、シンはなす術もなくキースに抱き込まれ…そして。
カタン…。
自分に何が起こっているのかさっぱり分からなかったが…背後で何かが落ちたような音がするのに、目だけ動かしてその方向を見た。
…ブルー?
廊下の向こうに立つブルーの、驚いた表情が目に映る。その顔が怒りとも悲しみとも判断のつかぬ色を浮かべた。
どう…したんですか?
誰何しようとしたが、言葉が出ない。なぜ、と思って。
自分に口付けしているキースのアップを見て、今自分の置かれている状況をようやく理解したシンだったのだった。
8へ
ああ〜、話がややこしく…。さすがにキースもキレたんですな。
高所恐怖症に加え、キースとの恋人疑惑。さて、シン様、どう挽回する?? |
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