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    茶器を扱う彼女を見守りながら、すすめられたソファに腰を下ろしてふっと窓の外を見たとき、シンはわが目を疑った。ブルー…? なぜここに!?
 気まずいまま別れてしまったわが思い人が、どうしてこんなところにいるのか…。シンは驚きのあまり固まってしまった。キースの言うやんごとない身分の客と鉢合わせする危険は覚悟していたものの、まさかブルーと鉢合わせになるとは思わなくて、シンは慌てた。
 「…どうかなさったのですか?」
 フィシスはその様子を敏感に感じ取ったらしい。不思議そうにこちらを伺った。しかし、シンにとっては返事をするどころではない。勘違いでなければ、ブルーは真っ直ぐこちらへ向かってきているのだ。
 その様子に、フィシスはふふふと笑う。
 「彼は、私のお客様ですわ」
 そう言われるのに、シンは驚いてフィシスを振り返った。
 客…? 客と言うと…妙な怪しい頼みごとをする…?
 …シンは自分のことはすっかり棚に上げてしまっているようである。
 「いえ、そういうお客様ではありません。私の幼馴染なのです」
 幼馴染…っ?
 あのブルーと、この正体不明の女がどうにも繋がらない。いや、今はそんなことを言っている暇ではなく…!
 「き…今日のところはこれで失礼します!」
 「随分と慌てていらっしゃるのですね。同僚の方とこんなところで出くわして、気まずい気分になるのはよく分かりますが」
 にっこりと微笑む彼女に、嫌な気分になった。なんだか弱みを握られたような気がする。というか。
 …なぜブルーと自分が同じ会社に勤めていると知っている…? キースと知り合いだから、そう思われても不思議はないのか…?
 「では、どうぞこちらへ。裏口はありませんので、しばらくここに隠れていてくださいな」
 フィシスは応接間と隣接する納戸を開き、シンにそこへ入るよう促す。それを拒否できる状況ではなく、シンは慌てて納戸に入り、ドアを閉めた。それと同時に呼び鈴が鳴る。
 『フィシス…? いないのか?』
 『まあ、お久しぶりですこと』
 納戸はそれなりのスペースがあり、窮屈な思いはしなかったが、隠れて二人の会話を聞いてしまうことに後ろめたい気分になった。
 『そうだね、随分と久しぶりだ』
 …じゃあ、何も今日に限って彼女を尋ねなくてもいいのに…とは、シンの心の中のぼやきである。
 『…お茶を淹れているようだが、誰か来る予定なのか?』
 どきっ。
 シンの心臓が高鳴った。
 『あなたが来るような気がしたのです』
 焦ったシンだったが、フィシスはいけしゃあしゃあと言ってのけた。
 『君は昔からそういうところがあったね』
 しかし、ブルーはと言うと懐かしそうに納得しただけだ。
 ああ、あなたのそういう騙されやすいところも好きです…!
 …誰の内心か、もう言わなくても分かるだろう。
 『どうかなさったのですか? 何か悩み事でも?』
 『そう…見えるかい?』
 え…悩みがあるんですか…?
 『君には隠しごとはできないね。そう…少し落ち込んでいてね』
 『もしかして…それは恋の悩みというものでは?』
 『困ったな、それもお見通しか』
 ブルーに…恋人…?
 シンは息をつめてブルーの次の言葉を待った。
 『…僕の片思いだとわかってはいるんだけど…声を聞き、姿を見ていると…独占欲が出そうになる。相手はそんなことなど思ってもみないだろうけどね』
 …あなたにそんな相手がいたんですか…?
 シンは愕然としてブルーの告白を聞いていた。
 『それは普通だと思いますわ。好きな人を前にして、まったく無関心でいられるはずがありません』
 『…ありがとう。だが、僕の片思いの相手にはパートナーがいてね。仕事でもずっとペアを組む間柄だから、息もぴったりだと評判なんだ』
 …それは…キャビンアテンダントの誰かですか…? でも、客室乗務員同士はペアを組むことはないような気がするんですが…。
 チーフパーサーとしてのブルーしか知らないシンとしては、ブルーの意中の人がどんな人間なのか気になった。
 『まあ。でも、仕事は仕事、プライベートはプライベートでしょうに』
 『…そうだね。でも…本当にいいんだ』
 ブルーはそこで話は終わったとばかりに、それよりも、と話題を変えた。
 『フィシス、僕のマンションにでも来ないか? ここはあまり治安が良くないだろう』
 …ちょっと待ってください。あなたが…彼女と一緒に住むんですか!?
 先の片思いの話にも十分驚きショックを受けたが、ブルーが幼馴染とはいえ、赤の他人でしかもこんな怪しい女と一緒に暮らそうという申し出に、シンは思いっきり焦ったのだが。
 『マンションの空き部屋はある。僕と同じ10階のフロアなら、すぐ隣が空いているから』
 そう付け加えられるのにほっとした。同じ部屋でという話ではないらしい。
 それにしても、10階でさえなければ、僕が住みたいくらいなのに…!
 『そんなことありませんわ。住めば都と言いますし、私はここが気に入っていますもの。確かにこの周辺では事件はよく起きるようですが、ご近所の方はとても親切ですし』
 だがフィシスはブルーの提案を受け入れるつもりはさらさらなさそうだ。そのことにシンはほっとした。部屋は違っても、また幼馴染であったとしても、ブルーの気にかける女が同じマンションにいるという事実に、きっと心穏やかでいられないだろう。
 『あなたの気持ちは嬉しいのです。かつて施設で一緒に育った私を妹のように気遣ってくださって。でも、私だっていつまでも子どもじゃありませんわ』
 一緒に育ったって施設ってどこ? と突っ込みたい気持ちはあったが、それよりもシンには気になることがある。
 …ブルーの片思いの相手って…一体誰なんだ?
 『…そうか。君が決めることだから無理にとは言わないが…』
 残念そうにそういうと、ブルーが立ち上がる気配がした。
 『分かった。君の意思を尊重するよ』
 『ありがとうございます』
 『悪かったね、突然来て』
 『いいえ、いつでもいらしてください。…もうお帰りになるのですか?』
 『ああ、また来るよ』
 そう言って、気配は戸口に向かう。
 『気をつけて。あなたの言葉ではありませんが、ここは治安が良くないのですから』
 『心配しなくてもいい、僕は君と違って男なんだから』
 玄関口のドアが開閉する音がして、室内は静かになった。
 …ブルー…好きな人がいたんだ…。
 シンは暗い納戸の中、ぼんやりと考えた。
 ブルーに恋人がいないらしいということは、キャビンアテンダントの女性たちから聞いていたが、そんなところまでは気が回らなかった…。
 「すみません、お待たせして。もう出てきても大丈夫ですよ」
 トントンと納戸のドアをノックする音が響き、キィという音を立ててドアが開く。シンは差し込んでくる光に目を眇めた。
 「あ…ああ、ありがとう」
 一応礼を言ってから、シンは納戸から出ようとしたのだが、フィシスがこちらと反対側を見つめたまま、戸口から動かない。
 「…? 何か…?」
 あったのかと不審に思い、シンもフィシスの見ている方向に目をやった。それはどうやら窓らしいのだが、シンの位置からは何が見えるのか分からない。
 「…まあ、大変。ブルーが…」
 「ブルーがどうしたんですか!?」
 …ブルーの名前には常に敏感である。
 シンはフィシスを押しのけて窓際に駆け寄った。そのシンの目に映ったのは、いかにもガラの悪そうな男によって黒い車に押し込められる、ブルーの姿だった。
 
   
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        | おややや…何か展開が物騒なような…。この後は、空軍とはいえ、軍隊にいたシン様の腕の見せ所なんですがー…。見せられますかね? な状況になる予定〜♪ |   |