シンがナスカ空港の救護室のベッドで目覚めたとき、傍にはキースがパイプ椅子に座って付き添っていた。
「…気がついたか。」
「キース…! ブルーにはバレてないだろうな…!!」
目を開けるなり、がばっとブランケットを跳ね除けて飛び起きたシンは、ものすごい勢いでキースに掴みかかった。
「…起きて開口一番がそれか…。大丈夫だ、あっちもそれどころじゃない。」
「…よかったー…。」
ほーっと息を吐くと、シンは再びベッドに沈んだ。今の動作でめまいがしたらしい。
「…お前…。仮にもパイロットなら、ほかに心配することがヤマのようにあるだろうが。乗客の安否とか機体の損傷具合とか、また俺たちの処分とか。」
「…機体の損傷は分かっている。右翼の破壊とエンジン、燃料タンクの一部落下。乱気流に巻き込まれたときは海の上空だったから、地上の被害はほとんどなかったはずだ。幸い、揺れたとはいえ飛行機自体は安定を取り戻すのが早かった。ましてや明け方だったし、眠っている人が多かったはず。けが人がいたとしてもたいしたけがではないと思う。」
枕に突っ伏しながらも聞こえたシンのくぐもった言葉に、キースは感心した。数々の戦闘機の操縦をこなし、メカニックも兼ねていたというシンだからこそ、あの非常時にこれだけの状況把握をすることができたのだろう。
「…それが、どうしてここまでバカになるのか…。」
確かにパイロットとしては非の打ち所がない。しかし、ひとたびコクピットを離れてしまうと、とんでもない非常識ぶりを発揮する。それもある特定人に対して。
しかし、それは今さら言っても仕方のない話だ。その特定人がいなければ、シンがここにいることもないのだから。
「そうだな、けが人は今のところ数人程度。打撲や座席の金具で引っ掛けたと思しき擦り傷くらいだ。それから、俺たちはお咎めなしだと本部から連絡が入っている。あの乱気流は晴天乱気流で、未然に防ぐことが不可能だったという結論になったそうだ。お前の操縦テクのおかげで、大事には至らなかったことだしな。」
「…そうか…。」
自らの処分にはまったく関心がなかったらしい。シンは枕に沈んだまま、うめくようにつぶやいた。
「…キース。」
「なんだ?」
「…面倒をかけた、すまない。」
ぼそぼそとつぶやかれる言葉に、キースははあとため息をついた。
「まあ、いいさ。高所恐怖症じゃどうしようもないからな、何か飲むか?」
「…いい。」
コクピットに座っている姿とは打って変わって情けない様子のシンに、キースが同情の目を向けたそのとき。
救護室のドアがノックされた。
「はい?」
誰だろうと思いながら、キースは訝しげに応じた。
「僕だ。」
「ブルー!?」
今の今まで枕に突っ伏していたシンが慌てて起き上がった。その姿たるや、とても頭痛やめまいのためにへばっていたとは思えない。
そうこうしている間にドアが開き、美貌のチーフパーサーが顔を出した。その視線がシンにとまり、白皙の美貌にわずかに笑顔が浮かぶ。
「ジョ…シン機長の具合はどうかと思って…。急に倒れたものだから。」
心配になって…と言いながら室内に入ってくる。
「それがまだ…。」
回復してないようだ、とキースが続けようとしたのだが。
「平気です、すぐにでも飛べますよ。」
まだ青ざめてはいたが、シンは微笑みながらそう返した。
…こいつは…。
さっきまで起き上がることさえ難しいと思われていたのに、今はしゃんと背筋を伸ばしているシンの姿に、キースは呆れた。
「そう…か。でも、無理をしてはいけない。」
「無理なんてしてませんよ。」
ウソつけ。
そんなツッコミはキースの心の中だけで留まった。
平生はこれでもいいのだが、今は高所恐怖症によるダメージがまだ残っているのだ。冗談抜きで無理をさせるわけにいかないだろう。まだ目的地までの操縦業務があるのだから、と思いかけて。
…まあ、こいつはコクピットに座ればきちんと仕事はこなす奴だ。こんな場に俺がいるのもあほらしいし、放っておこう。
「じゃあ俺はコーヒーでも飲んでくる。」
そう言って、部屋を出るべく立ち上がった。それを見て、ブルーが目を丸くした。
…行くのか? と。戸惑い気味に視線を送ってくる。
「付き合わせて悪かったな、キース。」
だが、シンはというと、早く出て行けといわんばかりである。
「いや。…それよりもお前、ちゃんと伝えることは伝えておけよ。」
暗に、キースは高所恐怖症であることを打ち明けろといったのだが、シンはわずかに眉を寄せると余計なことを言うなと目配せした。
…勝手にしろ。困るのはお前だ。
キースは心の中でつぶやくと、救護室を出て行った。
「…何のことだ…?」
今の意味深なキースの言葉に、ブルーは首を傾げた。
「い、いえ、何でもありません!」
そのシンのあまりの過剰反応に…ブルーは驚いて目を瞠った。
「あ…すみません。ところで、どうしたんですか?」
シンとしてはこの話題から離れたいばかりに別のことに話を振ろうと思ったのだが、ブルーはそれを違う意味に取ってしまったらしい。
キースの出て行ったドアをちらりと見てから、息を吐いた。
「…すまない、邪魔をしてしまったようだ。」
「…? いえ、気にしないでください。先の乱気流の話をしていただけですから。」
しかし、ブルーの変化がシンにはわからなかったらしい。ブルーはそうか、と寂しげに微笑んでからシンを見つめた。
「…ジョミー…本当に大丈夫なのか? 顔色が悪い。」
だが、シンはふっと微笑むと、逆に心配そうなブルーの顔を覗き込んだ。
「平気ですよ、それよりあなたのほうこそ疲れたでしょう。少し休んでは?」
「…いや。僕は抜けてきただけだから。」
おそらく、乗客への伝達や問い合わせに対応していて、一段落したところなのだろう。一息つける状況になって、休むことなく見舞いに来てくれたことに内心喜びながらも、シンはクールに微笑んだ。
「そうですか。チーフパーサーは大変ですね。」
「それを言うなら君だろう。僕は操縦のことはよく分からないが、この飛行場の職員は君の技術は神業だと言っていた。」
「そんなことはありませんよ。」
「いや。君にとってはたいしたことはないのかもしれないが、何百人もの乗客の命を救ったことはすごいことだと思う。」
「当然のことをしたまでです。」
そのことについては、本気でそう思っているようで、シンに得意そうな様子はない。
「それよりも、実際に乗客と相対して避難誘導や救護確認をしなければならないあなたのほうがよほど大変だ。」
…そりゃそうだ。高所恐怖症のシンでは、飛行機からの避難誘導などできようはずがない。反対に本人が誘導してもらわなければいけないのだから。
「そんなことよりも、ブルー。」
嬉しそうに微笑みながら、シンはブルーの手を握った。ブルーはきょとんとしてシンを見つめる。
「…このフライトが終わったら…。」
「…ジョミー?」
「どうか、僕と…。」
そういいかけたところへ、再びドアをノックする音が聞こえてきた。返事をする間もなく、ドアが開く。慌ててブルーが手を離した。
「取り込み中すまん。ジョミー、代わりの飛行機の都合がついたそうだ。あと5分でチェックに入るぞ。次に乗る機体と滑走路のクセも知っておいたほうが…。」
「で、では、シン機長。僕はこれで…。」
そう言ってブルーは立ち上がり、止める暇もなくキースの隣をすり抜けた。細身の身体が開いたドアを通り抜け、ドアが静かに閉まる。
…何をぐずぐずしていたんだ…。
遠ざかるブルーの足音を聞きながら、キースはがっくりと肩を落とすシンを呆れたように眺めた。
「…いいところだったのに…。」
…キスのひとつもしたのかと思えば、それ以前の話だとは…。
キースはぼそりとつぶやいてから、厳しい目でシンを見遣った。
「そいつはすまん。だが、仕事は仕事だ。」
「…分かっている…。」
ひどく疲れた表情のシンを眺めながら、キースは何度目かのため息をついた。
3へ
…だんだんシン様が壊れてゆくー! んでもって、ブルーに誤解されてますが、当のシン様はまったく気づかず…! シン様今回ひたすらボケキャラですね。ブルーの登場シーンがあまりにも少ないので、次回めいっぱい出そうと思ってます♪ |
|