「殿下!!」
出かけようとすると、またハーレイに見咎められた。
「どこへ行こうとしているのですか! 舞踏会は小一時間で始まりますぞ…!」
「すぐに戻る。もうすぐ花嫁に会えると思うと楽しみだ。」
「はあ…?」
振り返ったブルーの笑顔がまるで夢を見るようで、そんな彼の表情を初めて目の当たりにするハーレイは驚いて固まってしまった。その隙にさっと馬に跨って走り去ってしまったブルーを、ハーレイは呆然と見送るよりほかがなかった。
「…ど、どうなさったのだろう…?」
…堅物、というよりもまだまだ恋愛に関しては未熟といった感が強かった殿下だったのだが…。
「ブラウの言うとおり…こうなったらこうなったらで心配なものだな…。」
ブルーは馬を走らせながら、心躍るような気分でまわりの流れる風景を眺めた。
あの娘が僕のものになる。そう思っただけで、ひどく浮かれた気分になる。
安っぽい服を着けたほっそりとした体つき、装飾具ひとつつけていないのに、あんなに麗しく目に映るくらいだ。綺麗なドレスを着て髪飾りのひとつでもつければ、さぞかしその美しさが引き立つことだろう。そうなれば、ジョミーのことを田舎娘などと馬鹿にできるものなどいないはずだ。
誰も手を触れていない清楚な花…。
だが、そこまで考えたブルーの心を、何ともいえぬ嫌な気分が支配した。
それは今朝のこと。すがすがしい朝、まだまどろみの中にいたブルーは、ひどく不快な夢を見た。上も下も分からない、どろどろした空気の中で響いてきた男の声。
『…あんなところに住んでいる娘が、なぜ誰とも触れ合ったことがないと思えるのだ…? 貴様はおめでたい奴だ。』
それがジョミーのことだということはすぐに分かった。
『幼い穢れなき童女のような顔をした娼婦かもしれん。』
うるさい! と叫びたかった。誰であろうが、美しい彼女のことを悪く言うのはとても腹が立った。
『ならば、あの娘に訊いてみればいいだろう…? お前はどうやって暮らしを立てているのかと。まわりに住む農夫やきこりを相手に腰を振っていないのか、貴様のように迷い込む男を手玉に取っていないか。』
その言葉に言い知れぬ怒りを感じ…。そこで目が覚めた。
ひどく後味の悪い夢だった。
そんなはずはない、あんな清らかな少女が、そんな淫らなはずはないと否定するが、あの不愉快な男の声は今も心の中に響いている。
…ジョミーに会えば、そんな気持ちも吹き飛ぶ。
そう思いながら、ブルーは森へ入っていった。
…少し早く来すぎただろうか?
ジョミーの家となっている小屋はもぬけの殻で、ひどく寒々しい気分になった。部屋の中は家具らしきものもなく、ほとんど物もないためか、閑散としている。夕日に照らされているせいか、なおさら寂しげな様子だ。かけた食器類や粗末なベッド。野菜類がかまどの脇に置いてあるが、こんな貧弱な素材による食事では、栄養だって十分ではないだろう。
…あの娘は結婚より先に、身体作りのほうが大事かもしれない。
もっと元気になれば、日の光の下に咲く花のごとく、今よりもずっと美しくなるに違いない。
そんな想像に浸っていると、不意に外で何か重いものがどさりと落ちたような音がした。顔を上げると、すでにあたりは暗い。
ブルーは立ち上がると、ドアを開けて外に出てみた。するとそこに倒れていたのは、今の今まで思い描いていたジョミーだった。
「ジョミー…!? どうしたんだ!」
慌てて駆け寄り抱き上げてみると、ひどく軽い。続いて、青ざめた顔を見て、ブルーは慌ててジョミーを連れて小屋の中に入った。
「…誰…?」
ベッドに寝かされたジョミーは、ゆっくりと目を開けると瞬きをした。まだ意識がはっきりしていない様子だ。
一体何があったのだろう…?
「…王子…様?」
「そうだよ、僕だ。君を迎えにきたんだ。」
そういった途端。ジョミーは慌てて起き上がると、ベッドを降りた。そして、何を考えたのかいきなり土下座した。
その様子に、ブルーは呆気に取られた。何が起こったのかわからない。
「お、お許しください! どうか僕のことは捨て置いて、このままお城に戻ってください…!」
「…ジョミー…?」
「お願いです、僕のことはもう忘れて…綺麗なお姫様とご結婚を…っ。」
顔を上げようともせず、嗚咽で声を詰まらせて。ジョミーは絞り出すような声で、ブルーに訴えた。
ブルーはそんなジョミーを呆然として見つめていたが、やがて腰を落とし、ジョミーの金の髪をなでた。
「どうしたんだい? なぜそんなに泣いている?」
「僕…っ、王子様に優しくしてもらえるような子じゃないんです…! だから…だから…っ。」
その言葉に、今朝の嫌な夢を思い出したが、ブルーは軽く頭を振ると、頭を床に擦り付けたまま、顔を上げようとしないジョミーの手を優しく握った。
こんなに綺麗な娘が、そんなふしだらなはずはない。
「…一体どういうことなんだい?」
握った手をそっと引き上げ、顔を上げさせる。ジョミーの瞳からは、大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。
「僕は君の話を冷静に受け止めるから、話してごらん?」
そう言うと、ジョミーは涙を袖口でぬぐうと涙に濡れた瞳を上げた。
「あの…。」
しかし。
冷静に受け止めるとは言ったものの…ジョミーの口からあの男の声が伝えてきたような事実が語られたらどうしようと、どきどきしていた。
「…僕…男…なんです…。」
「…え…?」
だが、その台詞には拍子抜けして目を丸くしてしまう。
「それだけじゃ…ないんです。僕、日が落ちると人の姿に戻ることができますけど、昼間は…白鳥の姿…なんです…。」
そういわれるのに、まじまじとジョミーを見つめてしまう。
あまりにも突拍子もない話をされて、頭が追いつかない。ジョミーが…男の子で白鳥…?
「き、気持ち悪いですよね。いえ、それ以前に信じられないですよね…? でも、本当なんです。だから…僕のことは放っておいて、早く舞踏会に戻ってください。王子様ならきっと素敵なお姫様とご結婚なさって、素晴らしい王様になると思いますから…。」
そう、口早に告げるジョミーをブルーは見つめた。涙をこらえるように、気丈に振舞っている少女と、いや少年だということなのだが、そう思えた。
「どういうことだい? 君の着ているものは女の子の着るものだし、それに昼間は白鳥の姿、というのは、何かわけがあるんじゃないのか?」
そう言うのに、ジョミーは話そうかどうよしようか迷っている様子が見えたが、意を決したようにブルーを真剣な目で見据えた。
「…信じてもらえないかもしれませんが…僕、もともとは女なんです。」
男の子が女の子の格好をして、もとは女の子だったと言う。
何がなんだか頭が混乱しそうだが、ブルーは微笑みながらうなずいた。
「…信じるよ、それで?」
その様子にほっとしたのか、ジョミーの表情が幾分和らいだ。
「僕は、ずっと昔に存在していた国の、王女…だったんですが、国を滅ぼした魔法使いに絶対に結婚できないように男に変えられた上に、昼間は白鳥の姿でいるようにされてしまったんです。僕がこんな格好をするのは、王女に戻りたいというわけじゃないんですが…多分死んでしまった両親や、国民が笑っていたころが懐かしくて、そのときを思い出したいのだと思っています…。」
信じて…くれますか? と確認を取るようにこちらを見つめてくる。
「信じるよ、君はウソをつけるような人じゃない。」
そう微笑みながら同意した。
「その魔法を解く方法はないのかい?」
元が王女で人間なら、魔法さえ解ければ王子妃となるのに何の問題もない。もちろん、ジョミーが男の子だと知った今も、彼がほしいという気持ちは変わらない。昼間は白鳥の姿であるという話も、ジョミーが出現する前に見えたあの白鳥がそうなのかと納得しただけだった。
「はい…。僕が、誰も愛したことのない男の人から求愛され、結ばれるのが…その魔法を解く方法だと聞いています…。」
そう言ってジョミーはしゅんと顔を下げた。
「ごめんなさい、昨日きちんと話をしておけばよかったのに…。こんな美しい王子様にお声をかけてもらったと思って、嬉しくてついぼうっとしてしまったから…。」
「ジョミー?」
「王子様のような綺麗な方とお話したのは初めてだったし…僕、自分の立場も忘れてあなたと結婚したことを想像して…つい…。」
ブルーの指がジョミーの頬に触れた。ジョミーは言葉を止めて顔を上げる。
「…ジョミー、僕は正真正銘君が初恋だ。それは、家臣のすべてが証明してくれるだろう。そして僕は、今も君と結婚したいと思っている。」
ジョミーはぽかんとしてブルーをまじまじと見た。
「僕が君と結ばれれば、君の魔法は解ける。そうじゃないか?」
そう言うのに、ジョミーは驚いたように緑の瞳を大きく開いた。
「でも、僕は…。」
「別に僕は君が男の子でも白鳥でも構わない。君がこのまま男の子であったとしても、僕は君に傍にいてほしいし、昼間は白鳥の姿だというのなら、夜を待とう。だが、魔法が解ければ、君は元の王女に戻れるし、僕は夜だけでなく昼間も君と会っていられるのだろう…?」
「そ、そうですけど…。」
「それなら、問題は何もないじゃないか。じゃあ、僕の城へ行こう。」
「でも僕…っ、きゃっ!?」
突然、ブルーはジョミーの胸に手をあてた。何かいいたげだったジョミーは、真っ赤な顔でブルーの手をはたいた。
「ご…ごめんなさい…っ。」
その自分の動作に戸惑って、慌てて謝ってくる初々しい仕草こそ。
「いや、すまない。あまり君がかわいいから、本当に男の子かどうか確認しようと思ったんだよ。いや失礼した、君は本当は女の子なんだから、平手打ちされても文句は言えないね。」
そう言うと、真っ赤な頬はそのままに、ジョミーはぷうっとふくらんだ。
…こんなうぶな反応をすること自体、世間ずれしていない証拠。
「お…お戯れはおやめください…!」
「悪かった。君は確かに男の子だね。でも僕は事実を確認しても落胆するどころか、君が正直に話してくれたことのほうが嬉しい。」
ジョミーはというと、困ったように視線をさまよわせた。それが、ブルーにははにかんでいる仕草に見えた。
「では行こう。元が王女ならきっとドレスも似合うよ。」
「え…っ?」
ひょいと抱き上げられたジョミーは、その言葉に驚いてブルーを見返した。
「さすがに舞踏会で僕の告白を受け入れるときには、ドレス姿でいてほしい。」
「王子様…! ですから、僕はあなたに心をかけていただけるようなものじゃ…。」
「馬で戻るよ。しっかり掴まっていたまえ…!」
「きゃあ…っ!」
ジョミーを抱いたまま馬に乗ると、ブルーは一直線に城を目指した。
3へ
とゆーわけで、次回ハッピーエンドに…ならないんですねー、これが♪(それどころかウラ行き…。え!もう?)
オディール役がどうやっても決まらなくて(テラの女性陣って意外に人材不足…!)オリジナルな展開です〜。 |
|