かつて栄えた美しい国に、大陸一の麗しい姫君がいた。しかし、その姫に懸想した悪い魔法使いは、姫に婚姻の意思がないと知るや、力づくで姫を奪った。そして、姫を取り戻そうとする王国をも滅ぼし、王や王妃、さらには国民すべてを草や動物に変えてしまったという。
そして。
…花が咲き乱れ、小鳥が歌い。緑の美しかった国は、歴史から跡形なく消え去ってしまったのだった。
…そんなおとぎ話を昔聴いたことがある、とブルーはぼんやり考えた。
なぜ突然そんなことを思い出したのか分からない。先日王妃である母に、明日から行なわれる18歳の誕生祝いである舞踏会で、自分の妃を選びなさいと言われたためだろうか。
「…舞踏会といっても、いつも見る顔ぶれだろうに。」
諸外国の姫君、臣下の娘。美しさでは申し分のない彼女たちだが、妃に選ぶとなると話は別だ。
確かに彼女たちは淑女としては素晴らしい。礼儀作法から大立ち居振る舞いに至るまできちんと教育を施され、申し分のない教養も身につけている。だが、一生を添い遂げる相手といわれるとよく分からない。それよりも、帝王学をはじめとする数々の学問を修め、剣技を磨くほうがよほど重要だと思えるのだが…。
「…まあいい。気に入った相手がいなかったといえば済む話だ。」
ぼんやりと考えながらブルーは窓の外を眺めたが、城の中にいてはつまらない。そう思って馬を走らせることにしたのだが、厩に行こうとすると…。
「殿下、どこへ出かけるおつもりで…?」
…ハーレイに見つかってしまった。
「少し風に当たりたいと思ったんだ。」
「早駆けなら相手はおりませんぞ。リオは、明日の準備に町へ出ております。」
まわりが忙しく動いているときに、当の王子自身がのんきに外出などとんでもないといわんばかりである。
「ひとりでいい。」
子どもじゃあるまいし、相手がいなければどこにも行けないというわけじゃない。
暗にそう言ったのだが、ハーレイはブルーの言葉を聞くと目を吊り上げた。
「いけません…! 今日は夕方にかけて天候が崩れるだろうという予報なのです。明日の舞踏会を前に、もしものことがあったらどうするのです…!」
「ハーレイは心配性だな。」
それはそれで、舞踏会を欠席する口実ができてむしろ嬉しい。そう思いながら、ハーレイを無視して自分の白い愛馬の手綱を取り、ひらりとその背に跨った。
「…殿下…!」
「すぐに戻る。明日の打ち合わせはそのあとだ。」
それだけ言い放つと、ブルーは馬を走らせた。
「お待ちください、殿下…!」
だが、ハーレイの叫びもあっという間に見えなくなったブルーに届いていたのかいなかったのか…。分からないまま、ハーレイはため息をついた。
「どうした? また王子のことかい?」
「ブラウ…。」
がっくりと肩を落としていると、いつの間にか隣にはハーレイと同じ王子の教育係であるブラウが来ていた。
「まったく…まだ若いというか何というか…。あれほど大勢の姫君から熱い視線を送られているというのに、当の本人は女性には無関心でいらっしゃる。明日のことにしても、まったく気乗りしないようでもあるし。」
困ったものだ…とハーレイは額を押さえた。それに対しブラウはふふんと笑う。
「なに、それは王子に好きな子がいないせいさ。恋をすれば、今度は色ボケしたかと心配することになるだけだ。」
まあ、気楽にやんな、とブラウはハーレイの肩をぽんぽんと叩く。そのブラウを眺めながら、ハーレイはまたため息をついた。
「…雨…?」
ぽつぽつと顔に当たる雨粒に、ブルーはどうしようとまわりを見渡した。
ハーレイの予報は間違いなかったようだ。まわりが暗くなり始め、そろそろ引き返そうかと思っていた矢先のことだった。
とりあえず雨宿りをしないといけない。だが、随分と奥に来てしまったため、休めるような適当な小屋はあるだろうか…。
森の中を走っていたブルーは馬を止め、周りを見渡した。その向こうが明るくなっていることに気がつき、馬を引いてさらに奥に進んだ。すると、唐突に木々のトンネルが切れ、大きな湖が見えてきた。
雨さえ降っていなければ、大きな水鏡になっただろう美しい透き通った湖面を、一羽の美しい白鳥が滑るように泳いでいた。おりしも時刻は夕暮れで、暗くなっていく湖に浮かび上がるような白さに、ブルーは見とれた。
…なんという綺麗な白鳥だろう。
そう思いつつ馬を傍の木につなぐと、ブルーはそっと近づいた。そのとき、白く輝く白鳥に変化が現れた。まばゆい金の光があたりを照らし、その光量にブルーが目を閉じた直後。
白鳥がいたと、そう思った場所には金の髪を持つ少女が座っていた。年のころは14、5歳か。着ているのは何の変哲もない町娘の服装。だが、その美しさと愛らしさに、ブルーはひと目で彼女のとりこになった。
…こんなひなびた場所に、なんて綺麗な少女が住んでいるのだろう…。
我を忘れて一歩踏み出したとき。ぱきっと足元で枯れ枝が折れる乾いた音がした。
「誰…っ?」
驚いてこちらを振り返った少女の大きな緑の瞳とブルーの紅いそれが絡み合う。二人はしばらく凍りついたまま、無言で見つめ合っていた。だが、その沈黙を破ったのはブルーだった。
「…すまない。覗き見するつもりじゃなかったんだが…。」
ブルーは葉の茂った枝や草を掻き分けて湖の前に出た。対岸にいる彼女は、目を丸くしたままブルーを見つめている。
「君のうちは…どこかな? 少しの間、雨宿りをさせてほしい。突然雨に降られて困っているんだ。」
そう言うと、少女ははっとして立ち上がる。
「ど、どうぞ、こちらへ…。」
対岸の少女は手招きしてから木々の奥へ消えた。
さっきまでいた美しい白鳥。それも気になったが、ブルーにとって今は金の髪を持つ少女の存在のほうが、よほど気にかかった。
「こんなところに女の子のひとり住まいとは…。両親はいないのかい? 親戚は?」
ほったて小屋に毛が生えた程度の粗末な住まいに、ブルーは目の前の少女を見つめた。少女が一人暮らしで、ここで野菜を作るなどしてひっそりと住んでいると聞いて、心底同情した。
「両親は…随分前に死んでしまっていません。親戚も、どこにいるのか分からないし…。」
少女は視線をさまよわせながらブルーに白湯を差し出した。
「ありがとう。」
器を受け取ると、ブルーは改めて少女を見つめた。
こんな田舎育ちにしては身のこなしは洗練されているようだし、何よりも美しい。髪は男の子のように短くして、粗末な服を着ているが、それさえ気にならないほど…綺麗な少女だ。
「僕はブルー。君は…?」
「…ジョミー…。」
そう言うと、ほのかに頬を染めてうつむく。
その初々しくも愛らしい仕草に、ブルーはふと明日の舞踏会のことを思い出した。
「明日は僕の誕生日のパーティなんだ。ぜひ君に来てほしい。」
え…っ? とジョミーは顔を上げて目を丸くした。
「そこで、僕は君を婚約者に指名したい。」
「こ…婚約者…?」
呆気に取られた様子のジョミーに、ブルーはさらに畳み掛けるようにいった。
「僕はこの国の王子で、18の年に結婚することと決められている。明日の舞踏会が花嫁の指名会場なんだよ。僕は、着飾った上品な女性なんかより君のような清楚な少女が好きだ。改めて申し込もう、僕の妃になってくれ。」
「で…でも…。」
ジョミーは困った様子で下を向いた。
「明日の夕方、ここに迎えをやる。いや、僕が自ら迎えに来よう。君はそのままでも十分美しいが、僕の城でドレスに着替えて舞踏会に出てもらう。異存はないね?」
「そんな…! 僕…じゃなくて、私、困ります…!」
戸惑いを隠せない様子のジョミーに、ブルーは優しく微笑んだ。
「大丈夫、舞踏会といっても無理に踊らなくてもいい。僕が傍についていてあげるから。」
しかし、ジョミーは困惑顔でふるふると首を振る。
「でも…それは…。」
「さて、雨も上がった。僕は帰って明日の準備をする。…楽しみにしているよ、ジョミー。」
そう言って、何か言いたげなジョミーの頬を軽く撫で、ブルーは城に戻っていった。
…性急すぎることは自覚していたが、初めてこの少女がほしいと、そう思った気持ちを押しとどめることなど、今のブルーにはできなかった。
2へ
まったく急すぎ! 手順無視のブルー、心の準備なしのジョミーですが、その辺は童話の強引さということでご勘弁…。
Katsuratさまリクエスト、『白鳥の湖』そのまんまで始まりましたー★ 童話がテーマと言いつつ、しっかりウラにも入る予定でーす♪ というか、ジョミたんが今置かれている状況が〜…。 |
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