『メール受信、1件』
シンと別れてきたその夜のことだった。何をするともなしにパソコンを開いてなんとなくメーラーを起動したとき表示されたメッセージに、ブルーは眉を寄せた。
そもそも、メールなど送られてくるわけがない。それなのに、メールチェックしてしまう自分がいる。いつもならば、当然受信メールなどあるわけもなく、そのたびに何をしているのだか、と自嘲気味に笑ってしまうのだが、今回はそれどころではなかった。
まさか…。
嫌な予感がしたと思ったら、案の定差出人は気になるけれど、自分の苦手な上級生、眉目秀麗、成績優秀、スポーツ万能な高等部生徒会長シンのものだった。
しかも、その文面を目でなぞって驚き、慌ててかばんの中を見て。がっくりしてしまった。
…やっぱり、ない…。
『君が昨日忘れていった生徒手帳を返したい。』
メールには冒頭にそうあった。
あんな傍若無人な男に弱みを握られたようで、とてつもなく気分が悪くなる。
しかも、明日は土曜で休みだけど、早くに渡したいからどこかで待ち合わせて食事でもしようと書かれているのに、その場所を見てさらにむっとした。
「…テーマパーク…?」
シンが指定した場所は、若い男女や親子連れに人気のあるレジャー施設だった。
『明日の午後6時、キャッスルフォアコートで会おう。』
そう書かれていたのだけど、そんな場所に行くのはご免だと思い、何度も来週の月曜日でいいと返信したのだが、相手が開封したというメッセージはいつになっても入らず、そのまま翌日になってしまった。
「相変わらず、勝手なんだから…。」
…一昨日の放課後、金曜の午後にシンに付き合ってしまったのは間違いの元だったと反省しつつ、ブルーはこんな一方的な誘いは無視しようと勉強道具を取り出した。
物理の予習をしておかなければならないし、近々試験だってある。だから、あんな強引で人の都合さえ聞いてこないような人に、付き合ってる暇なんか…。
そう考えて。
ふっとさびしくなる。
誰かと親しく話をすることもなければ、笑い合うこともない。それは当然のことなのだから仕方ない。それなのに、更正プログラムというものを課されて、こうして学校に通っているけれど…。
…自分がこんなところにいるのは間違いなのだ。本当なら、僕は…。
そこまで考えて。
キンコンと呼び鈴が鳴るのに、どきっとして玄関を眺めた。反応せずにいると、次には軽くドアをノックされる。
ブルーはのろのろと立ち上がると玄関まで歩き、ため息をついてドアを開けた。
「!?」
その途端、わさっと赤いものが自分の顔先に突き出された。
「お届けものです。」
ドアの外にいたのは、配達人と思しき背の高い青年。こんな場所でなければ、ホストクラブにでもいそうな感じがする美形である。そして、彼の手には真紅のバラが50本ほど束ねられた豪華な花束。
「…僕に…?」
あまりの出来事に、ブルーは目を丸くして凍りついてしまった。
「はい、どうぞ。」
そう言うと、グレーの髪のにこやかな配達人は花束をブルーに押し付けてしまった。ブルーも何となく雰囲気で受け取ってしまって。
「では、確かにお渡ししましたよ。今日はその中に入っているチケットを持っていらしてくださいとの伝言です。」
そう言われて、えっ?と思ったときには、青年は軽やかに脇の階段から降りていくところだった。
「待って…!今日って…。」
追いかけようとしたが、青年の足は速く、あっという間に階下に到達したらしい。バイクのエンジン音が聞こえ、タイヤの軋む音が聞こえてきたっきり。
…さっさと走り去ってしまったようだ。
ブルーはと言うと、呆気にとられてしばらくバラの花束を抱えて階段の上で固まってしまっていた。
「…なぜ…?」
どうしてあの人はこんなに僕に構うんだ…?
チケットを届けるのに、バラの花束? いや、それよりもなんで僕を誘うんだ…!?
怒りのあまりふるふると花束を抱えて震えていたが。
…うちに入ろう。こんなところにいたって仕方がない。
そう思って、かさばる花束を抱えてドアを閉めた。
手にした高価そうなバラを見つめながら、しばらく途方にくれていたが、バラに罪はないんだし…と思ってため息をひとつつくと、花瓶でも探そうと部屋に戻った。そして、花束をテーブルに置いたと同時に金のライン入りの白い封筒がひらりと落ちた。
中に入っていたのは、タクシー券とテーマパークのチケット。それから、そのテーマパーク内の地図。『キャッスルフォアコート』の部分に印がついている。
僕が行かなかったら、あの人はどう思うだろう?
その華やかなマップ図を見ながらふと思う。
これだけ強引で、人の都合などお構いなしの生徒会長だ、プライドを傷つけられたと怒るだろうか? それとも、不屈の精神でまた誘いをかけてくるだろうか…? それとも…。
もう呆れられて声さえかけてくれなくなってしまうのか…。
ジョミー・マーキス・シンの実家が中華系の企業で、お金持ちらしいということは分かった。けれど、このバラの花束は傍目にも高そうだし、テーマパークのチケットだってある程度の値段はする。おまけに、ここからタクシーでテーマパークまで行けば、おそらく運賃は相当かさむだろう。
どんなお金持ちであったとしても、さすがにここまでお金をかけたにも関わらず、相手が無視を決め込めば、さすがにもう誘う気はなくなるだろう。
「…それなら願ったりだ。」
つきまとわれるのは嫌だったんだから。あんな目立つ人と一緒にいて、一緒に悪目立ちするなんて遠慮したいと思っていたんだから。
それなのに。
どうして、泣きたいような気分になるのだろう…?
そう思いつつ、封筒をもう一度見ると、中に小さな便箋が入っているのが見えた。取り出してみると。
『保健室で眠っている君の唇は甘かったよ』
「な…っ!!」
文面を見るなり、顔が真っ赤になるのが分かった。
あの人、僕が眠っている間に何かしたのか!? 甘かったって…、甘かったって…!!
さらに。
『いつもは肌の色の白い君なのに、熱射病のときには頬が紅潮していて我慢も限界だった』
まるで一種の嫌がらせである。
「…あの人は…っ!」
何かしたとすれば、とんでもないエロ会長である。女生徒に人気の高等部生徒会長も地に落ちたものだ、と震えるこぶしを握り締めて、低く悪態をついた。
…もういい。直接文句を言ってやろう。相手の思う壺だろうが何だろうが、はまってやる…!
そう決意して、バラの花束をキッチンのガラスボウルに突っ込むと、封筒に送られたものを入れて上着を取ってから玄関に向かった。
…どんな金持ちだろうが、ここまで人の意思を無視して、さらにあんなわいせつ一歩手前の手紙を送りつけてくるなんて…!
しかし、さすがにタクシーを使うのははばかられたため、電車を乗り継いでいくことにしたのだが…。
午後5時30分。
ブルーはテーマパークの前で人の多さに閉口して立ち尽くしていた。
…もう夕方なのに、なぜこんなに人が多いんだろう…?
実はブルーはあまり人ごみが好きではない。しかし、そんなことを言っていたら、シンが指定した待ち合わせ場所にたどり着くことなど、夢のまた夢だ。
そう決意して、ゲートをくぐった。さすがに今回ばかりはシンから送られたチケットを利用せざるを得なかった。入場制限がかかっていて、チケットの販売は停止していたからだ。
こんなに人が多いのだから、それも当然だな。
そう思いつつ、パーク内に入って。
…驚いた。
まるで別世界だ…。
あたりには楽しげな音楽が流れ、まわりは美しくかわいらしいオブジェに囲まれて子どもや若い女性がはしゃぎながら写真を撮ったりポーズを決めたりしている。暗くなりつつあるためか、綺麗な電飾が施されていて、まるで夢のような光景が目の前に広がっていた。
「綺麗…。」
こんな場所には来たことがない。まわりは皆笑顔で、悲しいことや辛いことなど存在しないかのようだ。ブルーはおとぎの国、といったイメージのテーマパークの中で立ち尽くしていたのだが。
「ママー、写真撮ってー!」
小さい子供の嬉しそうな声に、我に返った。
…遊びに来たわけじゃない、こんなことで浮かれていてはいけない。
改めてそう思い、きっと顔を上げると人ごみの中ゆっくりとパークの奥へ歩き出した。だが、華やかな電飾や、心躍るような雰囲気に、すぐに心はこの夢のような世界に引き込まれてしまう。
こんなことがなければ、自分とは縁のない場所なのに…。
それなのに、夕方になって時間が経つにつれ、幻想的な光の街を形成するパークが、とても美しいものに見えて切なくなる。
…と、とにかく、早くシンと会って生徒手帳を返してもらって、保健室でのことを…。
しかし、そう考えた途端、ぼっと顔が熱くなった。
な、何を照れている! そんなことよりも、早く彼と会わなきゃ…! 大体あの人は変わってるんだから、何をされたとしても気にする必要はない…!
そう考えて、無理やり保健室の出来事から離れようとシンに思いを馳せてみた。
…やっぱり…変な人だ。
もうその一言に尽きる。
…あんなクールな外見にも関わらず、身勝手で強引。文武両道に秀でていて、先生の覚えもめでたいにも関わらず、繁華街の裏通りに行きつけの喫茶店があるというミステリアスな優等生。女子生徒には中高問わず絶大な人気があり、男子のやっかみまで買うほどモテまくるスーパー生徒会長。
…そんな人がなぜ僕なんかに構う…? やはり…、単に遊んでいるだけなんだろう。
そんなことを考えながら、キャッスルフォアコートに到着した。入り口からの距離はたいしたことはないものの、いかんせん人が多いため、予想以上に時間がかかってしまった。でも、時計を見ると6時前だ。まだシンの姿はない。
少し休もうと思って、ベンチに腰掛けていると、どこからかクマのような着ぐるみがおどけた仕草でブルーの前に立った。何だろうと思っていると、そのクマが封筒を差し出した。
それは、今持っているシンからの封筒と同じ…。
受け取って慌てて開封してみると、あっさりとした文章が。
『いつも寂しげな君の楽しそうな表情を見ることができて嬉しい。』
「え…?」
楽しそうな表情…? でも…本当にそんな顔、してたんだろうか…?
何となく気恥ずかしくなったが、次の文章を読んでそれも吹っ飛んでしまった。
『そんな君を掴まえたくなった。
もし、君が僕からまんまと逃げおおせたら、僕は二度と君には付きまとわない。よき上級生として見守るだけにする。でも、僕が君を掴まえてしまったら、堂々と君に申し込みたい。
今から10分間、僕は何も見ず、どこにも動かない。その間に君は逃げるなり、隠れるなりすればいい。エリアはこのパーク内。制限時間は午後7時30分まで。パレードが始まったらタイムアップだ。』
…そんな勝手な話があるのか…?
さすがにこればかりは怒っても仕方がないだろう。一方的もいいところだ、こんな人の都合も聞かない、自己中心的な言い草ってないだろう…!!
この手紙を持ってきた着ぐるみを見れば、子供や女性に囲まれていて、とても近づけそうにない。それに、時間は刻々と過ぎている。
「…逃げ切ればいいんだろう…!」
ほとんどやけくそ気味につぶやいて、ブルーはその場を後にした。
6へ
で、追いかけっこの始まり〜♪どちらが勝つか、もう勝敗は見えてますよね!さて、夢と魔法の王国の取材(?)の効果が出るでしょうか!? |
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