「ブルー…?」
シンの優しい声がブランケット越しに聞こえる。いつもの強引な彼らしくなく、ブルーが自ら顔を出すのを待っている様子だった。
でも。
顔を…見せられない。あんな男にさえ身体を任せる淫乱だと思われたに違いない。そんな蔑んだような目で見られるくらいなら…。
ブルーは胎児のように身体を丸くして、身じろぎひとつできなかった。
沈黙が落ちる。そうしていて、どのくらいの時間が経っただろうか。シンが息を吐く気配が感じられた。
「すまない、君を傷つけてしまった。許してくれとは言わないが…どうかこのまま心を閉ざしてしまうようなことはしないでくれ。」
低い、吐息のようなささやき。そして、ベッドのスプリングが浮いて、シンが立ち上がる気配がした。
「…とにかく…ゆっくりお休み。また来るよ。」
続いて、シンがゆっくりと歩き去る気配。
…このままシンを見送ってしまったら…。
ブルーの心の中に、脅迫めいた感情がわきあがった。また来るとは言ったが、ここはどうやらシンの別宅で、常にいる場所ではないらしい。
それなら…次はいつ会えるのだろう? いや、もしかしたら…。
手足を動かすことすら億劫なだるさ。けれど、このままシンに会えなかったらと思ったら、身体が勝手に動いた。
「…ブルー…。」
広いベッドの上。そこに、ブランケットを取り、与えられたパジャマを着ただけの姿でうつむいたまま座った。
暴行のあとも生々しく、見ているだけで不愉快になるだろうむき出しの腕や首。ガーゼや絆創膏を貼り付けられている部分はまだいいが、愛撫されてうっ血したキスマークのあとなどは、自分でも眉をひそめたくなるほどだ。それに…多分青白く、今にも泣きそうな表情をしているだろう、情けない顔。
どれをとっても、今姿を見せるべきではないと思えた。
「…昨日から…君は水さえ口にしていないと聞いた。」
シンは再びこちらに戻り、ベッドの端に座ると穏やかな表情でそういった。昨日の剣幕はすっかり影を潜めている。
「何か口にしないと、身体のほうが参ってしまうよ…? 食べたいものはないのかい?」
ブルーはうつむいて首を振った。
シンの顔を見られない。この身体の傷あとを、彼がどんな思いで眺めているのか…。
知るのが…怖い。
「そう…か…。それならジュースは? 君は炭酸系が苦手だったと記憶しているが…僕が適当に選んでハーレイに作らせてもいい…?」
…なんでそんなこと、知ってるの…?
そう思ってつい。…シンの顔を見てしまった。その途端シンがほっとしたような笑顔を浮かべた。
「ようやく、僕の顔を見てくれたね。」
そう言われて、はっとしてまた視線を下に向けた。
「…じゃあ…蜂蜜入りのレモンジュースでもいいかな? すっきりする。」
…返事ができなかった。
それを不快に思った様子もなく、シンは部屋を横切った。
…まって…。
ふと、シンが部屋を出て行ってしまうのかと思った。
「行か…ないで…。」
かすれた声が漏れる。その言葉が届いたらしく、シンは足を止めて振り返った。
「どこにも行かないよ。内線で電話をかけるだけだ。」
優しい口調でそう言うと、シンはドアの横にある電話を取った。
「…いらない。」
「…ブルー?」
シンは怪訝そうな顔をして、一旦上げた受話器を迷った末に再び置いた。そして、ベッドの傍に来て、困ったようにブルーの顔を覗き込んだ。
「…じゃあ、眠る? 何も食べず、眠りもしなかったら、君は病気になってしまう。」
…そのほうがいい。この身体が厭わしい。誰彼ともなく、抱かれてしまうこの身など…消えてなくなってしまえばいい。
そうぼんやりと考えていたら、シンの手が突然肩に触れてきた。
「…!!」
びくん、と肩が揺れた。
「…大丈夫、何もしないから。」
シンの声からは、ブルーの反応に気分を害したような様子はない。肩に触れた手に力が入り、ブルーの身体はそのままゆっくりとベッドに倒された。
「僕は君の傍にずっとついているから、ゆっくり眠りなさい。君が眠っている間は、誰が来ても追い返す。…このあとは、僕が君を守るから。」
そういわれるのに驚いて、今度こそシンを真正面から見つめた。
いつも自信満々で、憎らしくなるほど余裕の言動をかますシンの顔に、疲労の色が見える。いや、見えるのは疲労の色だけじゃない、緑の瞳が辛そうにさえ見えるのは、気のせいではないだろう。
「…7年間、ずっと君を待っていた。君と会うときには強くなって、今度こそ君を守ってあげるんだと思ってきた。」
寂しげにつぶやくシンの声が、今まで聴いたことないような自信なさげなものだったため、ブルーは驚いて目を瞠った。
「7年前、あの男に嬲られている君を、影から盗み見するしかできない自分が情けなかった。あの男が君と性交の最中に亡くなったと聞いたときには、悔しくてたまらなかった。あんな男の死に様を見せられた君がどんな思いをしただろうと…。自分にもう少し力があれば、そんな思いなどさせなかったのに。」
…こんなシンの弱気な台詞など、今まで聞いたことがない。
「…兄…から聞いたかもしれないが…僕はあの男が死んでから、しばらく経って会社を任されることになった。経営手腕のかけらもなかった兄には、会社の再建など無理だったからだが、これはチャンスだと思った。あの男の悪事で潰れかけたこの会社を再建することができれば、きっと大きな力が手に入る。君を守って余りあるほどの力が。そう思ったら、手段など選んでいられなかった。」
…けれど…そんなものは、何にもならなかった。
シンはぽつりとつぶやいた。
「…持てる力を総動員しても、奪われた君を探すのにこんなに時間がかかった。僕が欲した力など、この程度のものなのかと…愕然とした。」
そこまで言ってから、シンは息を吐いて片手で額を覆った。
疲労が見えるのは、目の下の隈と、悄然とした表情のせい。先ほど、監察局の男を返り討ちにした堂々たる態度が嘘のようだ。
「ましてや、君を拉致して暴行を働いたのは僕の血縁者だ。…許してくれとは言わない。けれど、このままでは君は身体を壊してしまう。だから…」
今だけでも、僕の言うことを聞いて。何も考えずに眠って…?
そんなささやき声に、ブルーは呆然とシンを見上げた。
「怒って…ないの?」
「何を?」
あなたのお兄さんに…抱かれたこと…。
しかし、それは口にできなかった。
「…君は何もできなかったよ、不可抗力だ。」
それを察したようで、シンは首を振った。
「それに、僕が怒るなんてとんでもない。昨日はつい…君に八つ当たりしてしまったが、君は自分を責める必要などまったくないんだ。昨日は…本当に悪かった。」
…この人から頭を下げられたことなんか、初めてだ…。
シンが目を伏せて謝罪する姿を見ながら、ブルーはぼんやりと考えた。だが、そんな思惑にはまったく気がつかなかったように、シンはブランケットを手に取り、それをブルーの身体にかけた。
「とにかく、ゆっくり眠って早く元気になってくれ。僕が願うのはそれだけだよ。」
そう言って、シンはベッドの傍の椅子に腰掛けた。だが…。
「…ブルー…?」
ブルーは眠るどころか紅い瞳をシンにとめたまま、こちらを見つめている。
「…何でも…いいの?」
ほしいもの、と言われるのに、シンは嬉しそうに微笑んだ。
「いいよ。何がほしい? 何でもいいよ?」
大抵のものは用意できるから、とシンに言われるのに、ブルーはぽつりと。
「…ジョミー…。」
それだけ言って、黙りこくってしまった。
「…ん? なに? 本当に、何でもいいんだよ…?」
呼びかけたものの、それっきり口を閉ざしてしまったブルーに、シンは首をかしげた。しかし、やはりブルーは黙ったまま。
そのうち、「もういい」といってブルーはブランケットを被ってしまい、シンは呆気にとられてその様子を眺めていたのだが。
「…安心してお休み。怖い夢など見せないから。」
25へ
次で…終わりかなー? 一応、ハッピーエンドに近づきましたが!ところで、今回のシン様、ヘタレな上に肝心なところでボケたんですが…。分かりました…? |
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