ふと気がつくと、朝だった。
あれからずっとぼうっとしている。時間の感覚などまったくない。夢と現を行きつ戻りつして、いつの間にか日が暮れていて、気がつくと星空が見え、そして再び日が差してきていたという状態だった。
眠ってはいないのだが、起きているとも言いがたい状況で、夜を明かしてしまったらしい。シーツの中で丸くなり手足を伸ばすような気にもならず、ずっと同じ姿勢で窓を眺め続けている。
サイドテーブルには、手付かずの夕食が置かれたままになっていた。ハーレイと呼ばれた喫茶店のマスターが置いていってくれたものだが、食べる気にもならなかった。
昨日の夜から今もなおこの心に思い浮かぶのは、シンの笑顔。校庭で、テーマパークで話しかけてくれたときの優しい微笑み。
…でも、もうジョミーは僕に笑いかけてくれることはない。
そう考えると、ずきん、と胸が痛む。
…いっそのこと、狂ってしまえたらいいのに。そうすれば、こんな痛みを抱えることもないだろうに。
そうぼんやりと考えていると、にわかに階下が騒がしくなった。
「…ですから、彼は身体の具合がまだよくないと…!」
「こんなところにいては、よくなるものもならないだろう。」
その声に、ブルーの身体がびくんと揺れた。
な、ぜあの人がこんなところへ…?
そう考えて、監察局の自分の担当はこの声の持ち主だったことを思い出し、その次の瞬間、シンが言った言葉を思い出した。
『この一件は伏せておくことができなくなった』
ということは…監察局から迎えに…来た?
ブルーは、足元がすっと冷えていく感覚を覚えた。自分の担当となっている男は、なぜかこの身体がひどく気に入っており、個別面談と称してはブルーを抱いた。
いつもなら、したいようにさせてきた。一時のことであるし、抵抗するのも馬鹿馬鹿しいと。しかし今は違った。
触れられたくない。
昨日の今日で、また抱かれるのは嫌だ。
ブルーは慌ててブランケットを深くかぶった。それと同時にバタンとドアが開く。
「おやめください、彼はひどくショックを受けているんです…! ましてや主人のいない間にこの屋敷で勝手を許すわけにはいきません!」
「それもこれも、すべて貴様たちの仕業だろうが!」
これでは、監察局というよりもマフィアである。そう怒鳴りながらも監察局の男はベッドに近づき、ブランケットを剥いだ。
「…!!」
「これは…。随分とひどくやられたようだな、かわいそうに。」
手足を縮めこませているブルーの身体をねっとりと眺めながら、男はにやにやと笑う。その笑顔はハーレイからは見えまい。声音はひどく同情的なもので、後ろから聞いていればいかにも哀れんでいるように見えるだろう。だが、その目には好色な色が浮かんでおり、見ているだけでぞっとする。
「監察局で保護します。あなたの主人にはそう伝えておきなさい。」
背後のハーレイに一方的にそう言いながら、未だ縄の痕の痛々しいブルーの手首を掴む。
「いや…っ!」
腕を引こうとしたが、力が入らないこともあってまったく効果がない。
「大丈夫、こんなところにいると何をされるか分からない。さあ、抱いていってあげよう。」
「や…ぁっ。」
両手首を掴まれて涙が溢れそうになる顔を隠すこともできず、ブルーは首を振った。
いや。こんな気分でこんな男に抱かれるなんて、絶対にいや…!
「おやめください、乱暴な…!」
「貴様は黙っていろ!」
ハーレイが仲裁に入ろうとするが、男はブルーの身体を抱えようと躍起になっている。
いや…やだ、このまま監察局に連れて行かれたら、すぐにでもこの男に…。
抵抗を封じられ、次の展開を思って絶望的な気分になったとき。
「お待たせしました。」
突然、凛とした声が響いた。監察局の男もあまりの唐突さに驚いてブルーを掴んでいる手を緩めてしまった。自分を捕らえていた力が緩んだ隙に、ブルーは慌てて手を解いてブランケットを頭から被って身体を隠した。
しかし、皆よりも一瞬遅れて頭に届いたその涼しげな声に、なぜ? と思った。
…だって…数日間は戻らないはずじゃ…?
「監察局の方がわざわざいらっしゃるというのに、外しておりまして申し訳ありません。」
今日のシンは、深い緑のネクタイに紺のスーツ姿だった。この年なら新卒社員かと思うくらいだが、若いのに落ち着いているためか、はたまたスーツの着こなしがさまになっているためか、そのようなイメージはない。
「貴様は誰だ?」
「失礼、僕はこの家の当主でシン・コーポレーション・グループの代表を務めております、ジョミー・マーキス・シンです。今回の事件は、ひとえに僕の不徳のいたすところで、監察局の方々にも大変ご迷惑をおかけしました。お詫びの言葉もありません。」
言いながらシンは深々と頭を下げた。
「…ふん、貴様のような若年者が当主にならなければならないとはな。同情するよ。」
「恐れ入ります。」
憎々しげな言葉にも、シンは感情を害した様子がない。
「そういう犯罪めいた事件は、貴様の一族の中だけで留めておいてほしいものだな。貴様らのようなシンジケートでは、こういうことは日常茶飯事なのかもしれないが、我々一般人はまっとうに生活しているんだ。巻き込まれるほうはたまったものじゃない。」
「お言葉を返すようですが。」
吐き捨てるような男の言葉に対して、涼しげなシンの言葉が響く。
「我々の事業は一般社会に深く根ざしたものです。わが社の社会活動を見ていただければ分かると思いますが、青少年の育成には特に力を入れています。」
だが男はそれを聞くと、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「それは表向きの話だろうが。貴様らが麻薬の密売ルートを持っていて、それで大もうけしているというのは有名な話だぞ…?」
「それは事実無根ですね。監察局ともあろうものが、裏づけのない中傷をしていいんですか?」
さすがに、その朗らかな口調とは裏腹に、ちくりとした皮肉が混じる。
「簡単に尻尾を出さないような上手い商売をしているのだろうと思っているよ。そうでなければ、一度は大きな負債を負って潰れかけた会社が、こんな短期間でここまで大きくなるはずがない。だからこそ、一般人を拉致監禁して暴行を加えようなどと思うのだろう。」
対する男も負けていなかった。しかも、さすがにブルーの担当だけあって、シン家のことは調べがついているらしい。
「ましてや、貴様のような若輩者がトップでは、統制の取れないところがあるのだろう。目の行き渡らないようなボスを持つ組織というものも、ある意味気の毒だな。」
「そのようなことをあなたに言われる筋合いは…!」
「ハーレイ。」
シンの声はよく響く。その声に、ハーレイは小さく、申し訳ありません、とつぶやいた。
「確かに、今回の件は僕の監督不行き届きによるものです。それについては、申し開きできない。」
「それに、貴様はまだ容疑者を引き渡していないようだしな。」
シンの謝罪に対し、男は鼻で笑うと面白そうに言葉を継いだ。
「もみ消そうとでも思っているのか? 容疑者は引き渡さない、被害者は解放しないでは、そう疑われても仕方ないというものだぞ…?」
笑いを浮かべる男に対して、シンはハーレイを振り返った。
「ハーレイ、本宅に確認を取れ。僕は今朝、兄を出頭させるよう命じてからここに来た。まだ出ていないようならすぐに出るようにと伝えろ。」
「はっ。」
ハーレイは一礼すると、部屋の電話を取った。昨日の喧嘩腰の会話など、まったく匂わせない。
ハーレイの様子を横目で眺めながら、シンは男を正面から見つめた。
「我々は、この件について監察局に協力を惜しみません。そのことはご理解いただきたい。」
「な…何を見え透いたことを…。」
男の動揺に対し、シンは笑みを含んだ声で続ける。
「今回の首謀者を即座に引き渡さなかったのは確かに申し訳ないと思いますが、こちらも兄の真意を確かめたかったのです。また、被害者についても拘束しているつもりはありません。事件のショックが大きいようなので、落ち着くまではこちらでそっとしておこうと思っているだけです、監察局の面会を拒否したり、対話を妨害したりするつもりはありませんが…。その件についてこちらからお願いがあります。」
シンの言葉だけを捉えるとへりくだっているように見えるが、その実お願いなどという言葉を使いながらかなり高圧的である。
「監察局の面会は決して拒みませんが、あなたはブルーの…彼は僕の学園の後輩ですので親しみを込めてこう呼んでおりますが、彼の担当を外れていただきたい。」
「な…なぜだ!?」
シンの言葉に男は目を剥いた。だが、シンは逆に皮肉っぽく笑った。
「監察局が自ら気を回すと思っていたのですがね、彼の担当は女性にしてもらいたい。」
「な…っ! 貴様からそんなことを指示される覚えはない…! それに、女性監察官をこんなシンジケートの本部まで寄越すなど…!」
「あなた個人がわが社をシンジケートと思うのは勝手ですし、それについてどうこう言っていては話が進みませんので反論は控えますが、ブルーは男に暴行されたのですよ?」
「それは分かっている…!」
「ならば、成人男性に対して恐怖を抱くのは当然だと思いますが。誤解のないように言っておきますが、あなたが担当者に付き添ってここに来ることは構わない。しかし、ブルーと直接話すのは、女性にしてもらいたいということなのです。それとも。」
声のトーンが下がり、シンは探るような緑の瞳を男に向けた。
「…担当を外れたくない理由でもあるのですか?」
「な…っ、なんと失敬な…!」
そのとき、室内の電話が鳴った。即座にハーレイが取る。
「私だ。…ああ、分かった。」
それだけ喋ると、ハーレイは電話を置きながらこちらを振り向いた。
「兄上は既に監察局に到着しているそうです。おそらく取り調べも始まっていることかと思います。」
それを聞くと、シンはくすっと笑った。
「お聞きのとおりです、とにかく、ブルーも不安定なので今日はこれでお引き取りください。ハーレイ、玄関までお送りしろ。ああ、担当の件はこちらから局のほうへ正式に要望しておきますから。」
シンがそう言うと、男は悔しそうな表情を浮かべながらシンをにらみつけていたが、やがてきびすを返して部屋を出て行った。ハーレイがそれを追うように一緒に部屋を出る。
それを見送ってからシンはベッドに歩み寄り、その端に腰掛けて。そして優しくささやきかけた。
「…ブルー、顔を見せてくれないか?」
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やっぱり泣くブルーには勝てないシン様! こうじゃなくっちゃ♪ いろいろシン様の実家のことが出てきましたが、ま〜あこんなものなのですvv |
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