あれからシンは、またこの身体を抱いた。今度は意地悪することなく、思う存分、したいようにと甘やかすような抱き方だった。それで今は、シャワーを浴びてから軽く昨日の試験勉強のおさらいをしている。その教え方まで、優しいような気がする。
あんなにひどいことをしたあとなのに、と嫌味をこめていうとシンは微笑んで。
「君は僕の大切な恋人だからね。」
いけしゃあしゃあとそんなことをのたまった。しかも。
「君が疲れて立てないようなら、僕が君を抱いてパークを歩いても構わないよ?」
そんなことまでいい出すのには、慌ててしまった。
「そんなの…!」
「それとも、行きたくない?」
そう訊かれるのに…困ってしまう。
正直なところ…行ってみたい。昨日は夕方だったし、既に日が落ちかけていたからよく見えなかったところも多かった。シンとの鬼ごっこで時間制限もあったし。
子供っぽいといわれるかもしれないが、やはり遊園地には縁がなかったため、一種のあこがれに近い感情があった。
「では行こう。パークで朝食を取ればいいから、試験勉強のおさらいを済ませたら出ようか。」
そう微笑むシンをじっと見つめる。先ほど傷つけてしまった頬の傷跡がやけに目立つ。造詣が美しいからなおさらだ。
と、不意にシンがブルーの両手を取った。
「ちょっと痕になっているけど、明日には消えてしまうだろう。」
何かと思えば、さっき縛り付けられていたときにつけられた手首の跡らしい。タオル地の帯で縛られていたのでさして強く当たっていたわけではなく、薄く見える程度だが、それを見た途端また恥ずかしくなってくる。
「も…もう、あんなことはやめてください。あなただって…恥をかくかもしれないんですから。」
テラスでの情交は、思い出すだけでも赤面しそうなシチュエーションだった。
「僕が? なぜ?」
「なぜって…。」
「僕は君が恋人だと、堂々と宣言したい気分なんだけどね。」
…もう何を言っても無駄だ…。シンの千切れた性格では、恥を恥とも思わないらしい。
「それに、もうしないといえる保証はないな。羞恥にさらされた君の美しさは、君が考えるよりもずっと魅力的で…。」
「ジョミーっ!」
つい、聞いているのが恥ずかしくなって慌ててシンを遮ってしまったが、シンはというと可笑しいといわんばかりに笑った。
「分かったよ、もうしないように努めよう。」
…何だか微妙な言い回しだけど…。とりあえず、そう言ってくれただけでもいいか、と自分を納得させてシンを見上げた。
…目立つ…よね…。シンの頬に走る赤い傷。
「? どうした?」
黙って顔を見つめられているのを不思議がっているらしい。決して不愉快そうではないが、訝しげにこちらを伺ってくる。
「…痛く…ないですか?」
「…何が?」
本当に分からないらしい。ブルーはそっとシンの頬の傷の跡に触れた。
「血は…止まっているみたいです…けど。」
「ああ…。」
そう言われてようやく傷がついている事実に思い当たったらしい。
「なんだ、気にしていたのか。こんなもの、子猫に引っかかれた程度のものだからね。」
君がつけた傷だと思えば、痛みさえ誇らしい、とまた変なことを言い出すのには、困って返事ができなかった。
そして、今はパークの入場門に来ている。
すごい人だ…。
昨日もすごかったが、今日もすごい。入場券の販売所は長蛇の列だった。
こんなので、入れるのだろうか? そう思っていたら、シンは列には見向きもせずに、その脇にある受付のようなところに向かった。
「おはようございます。」
にこやかな男性スタッフは、そんな挨拶ののち職員通用門を開けてくれた。それには、呆気にとられてしまった。
「ありがとう。」
シンはさも当然とばかりに、ブルーの肩を抱いて門を抜けた。
「あの…ジョミー…?」
「出資者の特権だよ。使えるものは何でも使わないとね。」
シンはそういって笑っていた。
そのあとすぐにレストランに入ったのだが、やはりそこでもシンは特別扱いだった。今度は一般客と同じテーブルに着いたのだが、順番待ちの客は大勢いたのに待ち時間などなく、まるで予約でも取っていたかのようだった。しかも席は窓際の眺めのいい場所だ。
「デートだからね。相手を待たせてはまずいだろう。予約は取っていないが、これも出資者の特権だよ」
そんな余裕の微笑みで、シンはメニュー表を寄越してきた。
「…小市民の感覚と違う。」
ため息混じりにそうつぶやくと、シンは澄ましてささやいた。
「僕と一緒にいる限り、君は小市民じゃないよ。で、何を食べる?」
そういえば、朝食を食べるためにここにいるんだった…と慌ててメニュー表に目を落として。
…たいした自信だ、とこっそりため息をついた。
確かに…こんな夢のような遊園地に出資するほど資金力のある企業の御曹司ともなれば、小市民ではあるまいが…。
「シン・ターレン。」
その声に振り返れば、マスターらしき男性が立っていた。
「ご不自由はございませんか?」
にこやかにそう問われるのに、シンは微笑みながらうなずいた
「ああ、大丈夫だ。」
「ご注文がお決まりになっているようでしたら、承りますが。」
え…まだ何食べるか決めてない…。というよりも、空腹感がなくて食べたいものが見当たらないだけだけど…。
その様子を察したのだろう、シンはあとから呼ぶといって男を下がらせた。
「そうですか、ではのちほど。」
…ターレン…?
メニューを見ながら、ブルーはその違和感のある呼び方のことを考えた。そういえば、中国では偉い人をそんな風に呼ぶんだった、とおぼろげながら思い出す。その思いがシンに伝わったらしい。
「あの男は、『ターレン』を『ミスター』くらいの意味で使っているだけだ。『ターレン』の意味は、君の考えているとおり、世代が上の人間や、高官の敬称だ。本来なら若輩者の僕に使うような言葉じゃないな。」
「そ、そんなことまで考えてません…!」
少なくとも、シンがその呼称に値しないとまでは考えていない…! 性癖は…別として、学園の総長を務めるシンのことだ、文武両道に秀でており、同年代の少年たちの間では群を抜いている。
ただ…出資者出資者といっているが、それはシンの血縁者の誰かがそうなのであって、シン自身ではないだろう。
「それで、何を食べる?」
だが、そう再び促されるのに困ってしまう。食べる気がないのだから、シンに付き合うつもりで目についたものを口にした。
「じゃあ…トースト…。」
「ほかには?」
「…それだけです…。」
「足りるのかい? 伸び盛りの14歳。」
「…! 僕は効率がいいんですっ!」
「そうか?」
シンはブルーの反論に微笑むとウェイトレスを呼び、メニューを立て続けにオーダーした。その数や、誰がそんなに食べるんだと首を傾げるような内容だった。
「…以上だ。」
「かしこまりました。」
そう言って下がってゆくウェイトレスを見ながら、ブルーは呆気にとられた。
「あれ…全部あなたが食べるんですか?」
信じられなくて、つい確認を取ってしまう。
「君が頼んだ分以外は、僕が食べるよ。ああ、君の分として勝手にオレンジジュースを注文しておいたが、まさか、それまで入らないなんてことはいわないだろうね?」
「そ…そのくらいなら…。」
もごもごいってしまったが、シンはそれならいい、と微笑んだ。
「ああそうだ。昨日、君に似合うかと思って買っておいたものがあるんだ。」
え…? と呆気に取られていると、シンはポケットから何かを取り出して、ぽんとブルーの頭につけた。
「うん、かわいい。」
へ…っ? と窓に映る自分を見て。
…絶句した。ウサギのような何か別のもののような…。そんな耳が生えたカチューシャだった。
「な…っ、何ですか、これっ!!」
「ここで売っていたものだ。周りを見てごらん、似たようなものをしている人はいっぱいいる。」
慌ててまわりを見渡すと、たしかに同じものではないかもしれないが、同じようなものをしている人は何人かいる。でも…。
「女の子や子どもばっかりじゃないですか!!」
いい年をした男で、そんなものをしている人は誰もいない。慌てて取ろうとして。シンの手に止められた。
「君は子どもだよ、14歳の。背伸びする必要はない。」
「だ…だって…。」
「いつも見ていたよ。同じ学年の友人たちとは一線を画したように冷めた目をして違うところを見ている君を。だから。」
いいながら、カチューシャにかかったブルーの手を引き寄せ、そのまま口付けた。
「君の時間を戻してあげよう。今日一日といえればよかったけれど、せめてこのパーク内にいる間はね。子どもなら当然与えられる幸せを得ることのできなかった君への、僕からのプレゼントだ。」
そういわれて。
…力が抜けた。シンの手を振り払うこともできず、呆然としてしまったが。
「そっ、そんなの、戻せるわけがない…!」
戻るわけがないのだ。それなのにシンは目を細めて愛しいものを見るような表情をして首を振った。
「じゃあ君に魔法をかけてあげるよ。あと数時間だけ。」
おとぎ話じゃあるまいし、といおうと開いた口は、しかし何もいわずに閉じられた。
…魔法をかけられるのも、いいかもしれないと。そう思った。
この人の本心は一体どこにあるんだろうと、ふと考えたけれど…。
19へ
単にシン様が耳つきのブルーを堪能したかっただけでは…! と魔法がとければそう思うでありましょう! |
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