どうなったんだろう…。
ブルーはベッドに入って窓から見える月を眺めながら考えた。
あれから程なくして迎えに来たリオは、ジョミー先生は大丈夫ですよと微笑んでくれたけれど、リオだって先生を見たわけじゃない。
どうやら先生は、僕が車の中にいたときに救急車で運ばれて行ったらしい。救急車のサイレンなどまったく聞こえなかった。そのくらい動転していたのだろうけど…。
…どうしてこんなに無力なんだろう。先生を助けにどころか、傍にさえ行けなかった。たとえそれが、ハーレイに止められていたからだとしても、自分ではそれが許せない。
相手が大人だったとしても、本気で振り払っていれば、自分を抑えつける手くらい簡単に外れてしまっただろう。それをしなかったのは、一重に自分の弱さゆえだ。
傍に寄ってみて、先生が冷たくなっていたら…? もう笑いかけてくれることも、目を開けることもないと分かってしまったら…?
そのくらい、先生の出血はひどかった。
さらに頭は急所だ。その頭を強打したらしいのだから、ただ骨折したとか裂傷を負ったとかというものではないだろう。
でも。
こんな落ち着かない気持ちを抱えて、ベッドに横になっているくらいなら、先生のところへ行ったほうがよかったかもしれない…。
あれからリオと一緒に帰ってくると、屋敷には主治医のドクター・ノルディが待っていて、一通り診察してくれた。
『右のひじに擦り傷がありますが、すぐに治ります。ただ、明日は幼稚園を休んだほうがいいでしょう。』
そう言ってくれて、安心した。とてもじゃないけれど、幼稚園に行けるような気分じゃない。
『ドクター…?』
『何でしょうか、ブルー様。』
ドクターは医者なんだから、先生の容態が少しでも分かるかもしれないと思って呼びかけたのだけど…。
結局…、その先を言えなかった。
ドクターは面白い人だけど、何事もはっきりと言うきらいがあり、ジョミー先生のこともはきっぱり『助からない』と言われてしまったらどうしようと…。
そんな風に考えて、何でもありません、とつぶやくだけになってしまった。
『ブルー様、ジョミー先生は大丈夫ですよ。』
ドクターが帰った後、リオが微笑みながらそう言った。
『だって、先生はブルー様を助けようとして怪我なさったのでしょう? そんな良い先生なんですから、怪我なんかすぐに治ってまた幼稚園に戻ってきますよ。』
こんなとき、自分が気休めに誤魔化される子供だったら良かったのにと思う。リオの言うことに安心して、先生の無事を信じられる子供なら、今頃こんなに気をもんでいないだろう。
どんなに優しい良い人であっても、非業の死を遂げることは往々にしてあるし、どんなにあくどい邪な人間であっても、順風満帆な人生を送る人もいる。
そこまで考えたとき、ドアが開く音が聞こえた。
下から話し声が聞こえるのに、慌ててベッドから起きてドアに張り付いた。
「ブルー様は?」
ハーレイの声だった。リオからは、ハーレイは警察の事情聴取のため遅くなるということだったのだが。
「もうお休みになっていらっしゃいます。」
「そうか、ならいい。それで、ブルー様のことは、だんな様と奥様にはお知らせしたのか。」
「はい。すべてハーレイ様にお任せするとのことです。」
「…そうか…。ブルー様のことについては何か?」
「いえ、特に…。たいした怪我もないならそれでいいと…。」
そこで、しばらく沈黙が落ちた。
「…それで、どうでしたか?」
リオが遠慮がちに訊いた。
「ブルー様を庇ったという、あの先生のことですが…。」
「意識不明、だそうだ。こんなことで死なれたら、ブルー様がおかわいそうだから、何とか助かってもらいたいものだがな。」
「そうですか…。」
「若くて体力があるから、何とかなるかもしれん。今はアタラクシア総合病院の集中治療室で入院中だ。家族は遠くに住んでいるから、明日でないと駆けつけることができないらしい。
リオ、ジョミー・マーキス・シンの家族が来たら挨拶に行っておいてくれ。こちらは同じく被害者なのだから礼を取る必要はないが、念のためにな。」
「承知いたしました。」
「見舞金も頼む。だんな様の名前に傷でもついたら困るから、相場の倍は持って行け。」
「はい。では、お食事でもなさいますか?」
「そうだな。」
二人分の足音とともに、声が遠ざかる。
…よかった…。
意識不明だとは言っていたけれど、先生はまだ生きてるんだ…!
両親が自分に関心を示さなかったことを悲しいと思うよりも、先生がこの世に在ることが嬉しくて、足から力が抜けた。
それに…。
「アタラクシア総合病院…。」
そこに先生がいる。そこで、先生は怪我と戦っているんだ。
しばらく考えていたが、ブルーはきっと顔を上げた。
「…行こ。」
先生の元へ。
包帯でぐるぐる巻きかもしれないけれど…。でも、どんな姿でも先生に会いたい…!
一度そう考えると、不思議なくらいこれからの計画が立てられていく。子供だからと言って、決して動けないわけじゃないんだから!
さっさと服を着替えると、ブルーはこっそり部屋を出て階下へ行く。
ハーレイやリオはまだ起きているから、セキュリティは作動していないはず。そう思ってこっそりとドアを開けて外に出る。庭に放されているドーベルマンが、ブルーの姿を認めると擦り寄ってきた。
日が落ちると防犯用に放される番犬だが、ブルーには懐いている。
「僕はちょっと出かけてくる。」
そう言うと、ドーベルマンはクゥと甘えたような声を出し、不思議そうにブルーを見つめる。
「先生の傍についていなくちゃ。だから止めないで。」
その言葉が分かったのか。
ドーベルマンは道を譲るようにブルーの横に移動した。
「ありがとう。」
笑顔でそう言ってから、正門ではなく、その数十メートル離れた場所にある裏門からそっと外に出た。
…万一誘拐犯に出くわしたりすると、話が面倒だから…。
そう思いながら、回りを見渡して、足早に暗い路地を駆け抜ける。
ここをもうちょっと行ったところにタクシー乗り場があったはず…。
しかし、こんな子供を乗せてくれるタクシーなどいるのだろうか? 傍からはそんな疑問が聞こえてきそうだが、当のブルーはそんな危惧などまったくないようで、ただジョミー先生のことだけ考えて走っていた。
8へ
と、言うわけで、4歳児単身病院へ♪で、直後自宅ではハーレイとリオが大騒ぎ〜。 |
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