7時過ぎ。
ハーレイが玄関先に現れ、帰る時間が来たことを告げる。
あれからは、ジョミー先生も僕も夏祭りの話題を口にせず、別の話題で盛り上がって一緒に夕食を済ませたのでほっとしていたのだけど。
「すみません、少々お時間を取ってもらえませんか…?」
帰ろうと靴を履き替えていたときに、先生の改まった声が聞こえるのに慌ててしまった。
「…何だ?もう遅い時間なんだが。」
ハーレイが不満そうに言うのに、先生はすぐに済みますから、と言って続けた。
「夏祭りのことですが、ブルーを出席させてもらうわけにいきませんか?」
「先生…!だから僕は出たくないって…!」
そう言いかけたが、先生はこちらを見遣り、優しい笑顔を浮かべて頭をなでてくれた。その、何もかも分かっているような深い緑の瞳に、何も言えなくなってしまう。
「ブルーのご両親が忙しいのは承知しております。ですが、これも行事の一つですから…。」
「行事と言っても、参加は義務ではあるまい。」
しかし、ハーレイの返事は思ったとおりのものだった。
「…義務ではありませんが、多くの園児が楽しみにしているものです。参加人数は、園児の兄弟も入れると相当な数になると聞いています。
こういう遊びも、集団生活をする面では大事ではないですか?」
しかし、先生も負けてはいなかった。いつもは優しいのに、こういうときになると凛とした雰囲気を漂わせるから不思議だ。
「君は、幼稚園の教諭だろう。」
ハーレイは頑なにそう言った。
「幼稚園の教諭ならそれらしく、子供の面倒だけ見ていればいい。出すぎた真似は感心しないな。」
「出すぎた…って!」
かっときたらしく、先生はいつもらしくなく声を荒げた。しかし、ブルーの前だと気がついて、言葉を切って黙り込む。
「とにかく、ブルー様は夏祭りの日に予定がある。外国におられるご両親のところへ行くことになっているのだ。そんなものには出ておれん。」
その言葉には、僕のほうが驚いた。
そんな話は初耳だ…!
「…先ほど、お母様から連絡がありました。」
ブルーの考えが分かったのか、ハーレイはためらいがちにそう言った。
「お仕事の取引先との懇談があるそうで、先方の社長夫人がブルー様を気に入っているから、ぜひ一緒に行きましょうと。」
…行きましょうではなく、来なさいの間違いではないだろうか…。
聞きわけがよくて賢くて、その上かわいい。
子供好きの相手なら、両親は必ずといっていいほどブルーを連れ出したがった。そのときだけ、仲のよい親子になるのだが…。それが嬉しいわけでもない。
じゃあ…、どうしても夏祭りに出るのは無理なんだ…。
傍目にがっくりしていることが分かってしまうが、取り繕う元気もない。
「…そう…、ですか。」
予定があるなどと考えてもいなかったようで、ジョミー先生も見るからに残念そうに肩を落とした。
「…では失礼する。」
ハーレイはそれだけ言うと、半ば強引に僕の手を取った。
ぼんやりと車に向かって歩いていて…、先生にさよならの挨拶をすることを忘れていたことに気がついた。
「ハーレイ、僕先生に…!」
「もう遅いからいいでしょう。」
「でも…!」
ハーレイの手を振り払って幼稚園に戻ろうと首を回すと、ジョミー先生が玄関の前でこちらを見ている姿が目に入った。
よかった、とほっとして道路を横切ろうとしたとき。
急にまぶしい光が目に入り、続いてけたたましいクラクションの音が聞こえた。
「ブルー!?」
「ブルー様!」
何が起こったのかよく分からず、立ち尽くしているところに、ジョミー先生の金の髪が光に反射するのが見えた。
何で…?いつの間に先生が…?
そう思った刹那、ブルーの身体は強い力によって突き飛ばされ、路肩まで転がった。そのはずみに、右肩を地面にぶつけ、一瞬息が止まる。だが、痛いと感じたのもつかの間だった。
どん、という大きな音と、自動車の急ブレーキの音。
その音に、慌てて目を向けると。自動車のヘッドライトに照らされた先に、ジョミー先生が倒れているのが分かった。
頬やむき出しの腕に擦ったような傷、閉じられた目。そして…。頭から流れる、赤い血…。血はどんどん出てきて、先生の身体の下に血溜りを作っている。
何が…、あったの…?
落ち着いて考えれば交通事故だと分かったはずなのに、そのとき感じたことといえば、何で先生が怪我しているの?とか、どうして車が止まっているの?といった疑問ばかりだった。
…とにかく、先生を…。
ふらり、と歩き出そうとしたとき。
「ブルー様、いけません!」
途端にハーレイに止められてしまった。
「…離して。このままじゃ、先生が…。」
だが。その先の言葉を飲み込んだ。
同時にようやく頭が働きだしたらしく、この状況を理解した。次の瞬間、焦燥感に似た感情がわきあがり、心臓がわしづかみにされたような気分になった。
死ぬ…?先生が…!?
そのとき、幼稚園からも居残りの先生が出てきた。
「ジョミー先生!」
「大丈夫ですか!?」
皆、先生のまわりで口々に呼びかけるが、まったく反応がないらしい。そうこうしている間に、血溜りは段々大きくなっている。
「救急車の手配は…!?」
「はい、電話しました!!」
「応急処置をしなくては…!」
「車の運転手はどうした!?」
まるで対岸の火事のごとく、先生のそばにすら行けない。そんな自分がもどかしくて、ハーレイの手を振り払おうとしたのだが、今度は力を入れて握られているらしく、簡単には振りほどけない。
「…そうだ。…ああ、頼んだぞ。」
ハーレイは、ブルーの手をしっかり掴んだままどこかに電話していたらしい。電話を切って、ブルーの前に腰を落とす。その位置にハーレイがいると、ジョミー先生が見えない。
「ブルー様、とにかく車の中で休んでいてください。」
「いや…。」
車の中にいたら、ジョミー先生の姿も見えなくなってしまう。
「今、屋敷のものを呼びました。迎えが来たら、そのものと一緒に病院へ行ってください。
私はしばらくここに残らねばならないでしょうから。」
いやだ。
ジョミー先生を放っておいて、僕だけ病院へ行くの…?そんなの…。
「いや…だ。どこにも行かない…!」
「ブルー様…。」
首を振って駄々をこねる子供に、ハーレイは困ったようにため息をつく。
今までは素直でいい子だったから。大人を困らせることもなければ、泣くこともない。聞きわけがよくて、賢くて…。
でも、そんなの何の役にも立たない…!
何の予告もなく駆け出そうとして、またハーレイに止められる。
「離して…っ!」
「いけません、子供の見るものではないのです!さあ、車の中へ…。」
「だって…、先生が怪我したのは…。」
そう口走って、呆然とした。
先生は僕を庇って車にはねられた。だから、先生に何かあったら…。
…僕の、せいなんだ…。
その事実にようやく思い至って、ことの大きさに愕然とした。
身体から力が抜ける。その隙を逃さず、ハーレイはブルーの身体を抱えて車に乗せた。スモーク入りのウィンドウのため、暗い外の様子はもう分からない。しかし、倒れていた先生の姿は脳裏に焼きついたまま。
遠くからサイレンの音が聞こえてくるのに、ブルーはひとり車の中で震えていた。
7へ
えーと、ちょっとえらいことになってきました!夏祭りどころじゃないですね!! |
|