ホテルの屋上は、なんだか神話の世界に迷い込んだような錯覚を起こさせた。
ギリシャ神話に登場するような神殿の柱をイメージしたと思われるオブジェが立ち、その中央にはやはりギリシャ神話の神殿をイメージした休憩所がある。
変な趣味、とホテルのオーナーの意向であろうこの屋上のイメージを一言で片付けて、中央の休憩所に向かう。休憩所はさらに高くなっていて、外の景色を眺めるのには最適なロケーションだった。しかしこの時間だというのに、先客がいたようで…。
え…?なんで…?
神殿をかたどった休憩所のベンチに腰掛けていた先客がこちらを振り向いた。
「やあジョミー。偶然だね。」
まるで神話の世界から抜け出したようなソルジャー・ブルーの姿に、月神アルテミスの名前を思い出してしまったくらいだ。後でアルテミスが女神だったことに気がつき、ジョミーは一人で赤面することになるのだが。
「…どうして…?」
「言っただろう、部屋の中にいるのはもったいないと。」
嫣然と微笑むその姿に、ジョミーは頭を冷やすどころか反対にのぼせてしまったようで、くらくらとめまいがした。
「部屋の中にいるのはもったいないって…。それはよく分かりましたが。」
二晩続けて部屋の前には誰もいなかった、というのはいくらなんでもおかしくないでしょうか?
そう問えば、彼の人は、そうだね、と微笑んだだけだった。
「でも、問題はないだろう?」
「それはどういう…。」
「地球防衛軍の君がここにいるんだから。」
護衛兼監視役がいるのなら。
まったくこの人は…。
「…敵いません、あなたには。」
マイペースで強引で、結局僕を自分のペースに巻き込んでしまう。でも。
嫌ってわけじゃ、ない。どこかそんな展開を期待してここまで来たような気さえしてしまう。
「君も座りたまえ。昨日からずっとまとまった休憩を取っていないのだろう。」
「…なんで知ってるんですか?」
「君のことだからね。」
…いまひとつ答えになってないような気がするけど…。
休憩所は結構大きなもので、ベンチは休憩所の外枠に沿って配置されている。そのため、座るとなるとソルジャー・ブルーの隣に座らざるを得ないのだけど…。
…隣に座っていいのかな…?でも相手はミュウのソルジャーだし、キースの言うように賓客だし。
こういう場合、護衛はつかず離れずの立ち位置で待機して、有事には護衛対象を守るか、襲撃者を倒すかどちらにも対応できるようにというのが本来の姿だ。昨日のように歩いているのならまだしも、座ってしまうとなると…。
「ジョミー?」
突っ立ったまま悩んでいるのを見て変に思ったらしく、ソルジャー・ブルーが首をかしげていた。
「いえ、僕は立ったままで…。」
いくらなんでも隣に座るのは失礼だし、それに、立っているほうが何かあっても次の行動に移しやすい。そう思っていたんだけど。
「座ってもらえないだろうか。君を見上げていると首が痛くなりそうだ。」
そんな風にお願いされると、困ってしまう。
少し考えて、座ることにした。どうにもこの人の頼みは断れそうにない。
「…で、どうしてそんなに離れるんだい?」
「いや、だって、護衛の僕がそんな近くに座れるわけがないじゃないですか。」
隣、といっても2メートルほど離れて腰を下ろした僕に、いかにも不満といった顔をするものだから、つい笑いたくなる。この人はとんでもなく落ち着いているかと思えば、ちょっとしたところで子供っぽい。
「これでも周りの状況も把握しなければいけませんので。」
あなたの隣に座ってしまったら、そんな余裕もなくなるじゃないですか。というのは、口には出さなかったけれど。
仕方ない、とため息混じりにつぶやいたが、ソルジャー・ブルーはそれで気持ちを切り替えたらしい。次に顔を上げたときには、いつもの微笑を浮かべていた。
「護衛業務は慣れているんだね。」
「慣れてるってわけじゃ…、何でもやらされるだけです。」
一応はメンバーズ・エリートで地球防衛軍だし。護衛業務から対テロ戦術の体得まで、ひととおりのことはこなせるよう訓練される。
「君の年で中尉の階級というのは、早いのではないのか?」
「そんなことないですよ。上には上がいますから。」
平均的な比較では、多分早いほうなのだろうけど、同期でありながらすでに少佐になっている友人もいるので、何とも言えない。
それに、問題ばかり起こしているからなあ…。
「ところで、きいていいですか?」
軍の中での話ではいい話題が出そうになかったので、手っ取り早く話題を変えることにした。
「僕で答えられることなら。」
幸いにもソルジャー・ブルーは、軍の話題に固執することはなかった。
でも、何で軍の階級の事情を知ってるんだろ?…
「そのヘッドフォンってずっとつけているんですか?」
「ああ、これはヘッドフォンじゃなくて、補聴器だよ。」
「え…?」
「僕は生まれつき難聴でね。これがないと、外の音はほとんど聞こえないから。」
ソルジャー・ブルーは笑顔のままだが、聞いてはいけないことをきいてしまったような気がした。
「すみません…。」
「気にしてないよ。」
「あ、じゃあサングラスなんてかけられないですね。」
「確かに使ってないが…。
それはかけにくいからって言うわけじゃなくて、君が僕の目を誉めてくれたからね。」
―――あなたの綺麗な目が見えなくなるじゃないですか。
ああ、そんなことも言っちゃったんだった…。確かに、相手が女の子なら口説き文句だな、と後から思った。
「あ!それとソルジャー、僕には男色の気はないですからね。」
少し不思議そうな顔をしたソルジャー・ブルーだったが、ああ、と納得したようにうなずいた。
「君の友人から聞いたのか。」
「そうですけど。
確かにその、あなたの目のことは誉めてしまいましたが、そんな趣味は…。」
「そういう意味ではなかったんだが。
君のようなかわいい人に恋人がいないらしいと聞いたものだから、むしろ女性には興味がないのかと思って。」
「か、かわいい…、ですか…?」
僕のこと、ですよね?と念を押すと、そうだよとうなずき返された。
男にかわいいと言われても、反応に困る。
「なんだか、あなたのほうが僕を口説いてるみたいですよ?」
「口説いているんだよ、僕はね。」
軽い気持ちで言ったはずなのに。
微笑みながらも真顔で切り返された言葉に、凍ってしまった。
冗談が上手ですねというべきか。それとも、そんな気はないとさっき言ったばかりじゃないですかというべきか。
頭の中ではそんな考えが渦巻いていたけれど、結局そのどれも口をついては出てこなかった。
僕なんかを懐柔したって意味がないから、そんなことを言い出すソルジャー・ブルーの真意がよく分からない。やはり、からかわれてるだけかな…。
「…君には好きな人はいないのかい?」
そんな沈黙を破ったのは、やはりソルジャー・ブルーだった。
「好きな人、ですか…?」
つい、目の前のソルジャー・ブルーを見つめてしまって、慌てて目をそらす。
あ、いやダメだ。キースにも言われたじゃないか、お前なんか相手にされるわけがないって。それ以前に、そんなことを考えているなんて知られたら…、どう思われるか。
「その、いるようないないような…。」
「随分と自信のない返事だね。」
片思いなんですよ!と内心突っ込んで。
「あまり僕で遊ばないでください、これでもそういう話題は苦手なんで…。」
「すまない、遊んでいるつもりはないんだが。
では、好きな人はいないようなものだと理解すればいいのかな?」
「そう、ですね…。」
まあ、それでいいのかな。どうせ叶うわけがないんだから。
そう思ったところにソルジャー・ブルーがふと顔を上げ、屋上の出入り口の方向を見やった。
そろそろ部屋へ戻るつもりなのかな…?まあ、大分遅い時間だし。
と、考えたのもつかの間、屋上に別の人間が侵入してくる気配を感じた。こんな時間にここまでやって来るホテル客にしては、動きが機敏で無駄がない。
「…誰か来たようだね。」
ジョミーは、自分よりも早く侵入者の気配に気がついたソルジャー・ブルーに舌を巻いた。サイオンシールドが張られているから、テレパシーなどではあるまい。
ミュウはそのサイオン能力ゆえに、シールドの中ではまったくの無防備といわれているのに、その長であるソルジャー・ブルーは違うようだった。他の追随を許さぬ、とはよく言ったものだ。
あ、いや今はそんなことを考えている場合じゃなかった。
慌てて頭を護衛モードに切り替える。
相手は確実に害意を持っている、しかも3人だ。こんな警備の厳重な中よくもここまで侵入できたものだ。
「ソルジャー、その柱の陰にでも身を隠してもらえますか?」
「どうしてもかい?逃げ隠れするのはあまり好きではないんだが。」
まるで状況を飲み込めていないかのようなソルジャー・ブルーの台詞につい絶句である。だが、今までの経緯から分かっていないはずはない。
つまり、ふざけているか本気で逃げることが嫌いかのどちらかだが、そのどちらにしろ今の状況では却下せざるを得ない。
…まったく、この人はこんなときにまじめな顔をして何を言い出すのか。
「僕のことを護衛だと認めてくれているのなら、こういうときには僕の言うことを聞いてもらわなくては困ります!」
「仕方ない。」
不承不承ながらといった体で、ベンチから降り、柱を背にして床に座る。
「早めに終わらせてもらえるかな。」
「…がんばります。」
…この人は、いつもこんな感じなんだろうか…。
ちょっとソルジャー・ブルーの補佐役や秘書役をしている人に対して同情を覚えたジョミーだった。
とりあえず、こちらはこれでよしと。
気を研ぎ澄ますと、3人の気配が散っているのが分かる。三方から狙うつもりか。こちらの退路を絶つ作戦なのだろうけど、それは逆に。
こちらも分散している敵に対して、それぞれに一対一で向き合うことができるということだ。3人を一気に相手するよりは楽だと思っておこう。
腰を落として、太めの柱の陰で銃を構える。
「…っ!」
これで1人。
レーザーの出力は最大にしてあるから当たり所が悪ければ死んでしまうだろう。…急所は外すようにはしているけど。
1人が倒れたことに動揺したのか、ほぼ反対方面にいる侵入者の気配が乱れた。反対側に向いて再度銃を構える。
「ぐ…っ。」
これで2人。
最後の1人。2人の仲間が倒されて、慎重にこちらを伺っている様子が分かる。
こいつがリーダー格か。リーダーだけあって、手強そうだが。
ひゅん…っ!
空気を裂く音がして、レーザービームがジョミーを掠めた。その掠めたビームが休憩所の柱にぶつかり、焼け焦げるような音ともに大きな穴が開く様が見えた。とっさに休憩所から走り出て、さらに趣味の悪い柱の影に隠れる。そのまま休憩所に留まっては、護衛対象に影響が及ぶ恐れがあるからだ。
さて、武器の性能ではあちらが断然有利だから、さっさと勝負を決めてしまおう。それに、長引かせてあの人から文句を言われたくないし。
と、ジョミーの隠れた場所にも同様にレーザーが打ち込まれた。今度は柱の上部が音を立てて崩れた。
…こちらの動きもよく把握されているってわけだ。余計早々に切り上げたほうがよさそうだ。
考えている間に、またレーザーが打ち込まれる。今度は連射。
盾になる柱を破壊して、誘い出そうと思っているのかもしれない。けど、無駄撃ちが多いということは、それだけで自分の居場所を教えているようなもの、とは考えられないものか。
念のため赤外線スコープをつけて相手を狙う。
「ぐあ…っ!」
…手ごたえは十分。これで全員倒したはずだ。
改めてまわりを見渡す。もう大丈夫だろうが、一応周辺を歩いてみた。こつん、と足に何かが当たる。さっき使用された銃だろう、それを拾い、エネルギーを抜いておく。
これがさっきのレーザーガンか。レーザービーム砲に近い形だな。なんて物を持ち込むんだか…。
どこのイカれたテロリストだと呆れてしまう。
銃器が特殊だから、武器から身元を割り出すのは意外に簡単かもしれない。まあそれは本部に任せるとして。
「お待たせしましたソルジャー、もうこれで…。」
「やはり君は優秀だ。」
出てきても結構ですと声をかけようと振り返ると、すでに先ほどと同じようにベンチに腰掛けてこちらを見下ろしているソルジャー・ブルーの姿が目に入った。
…まあいいか…。
少々脱力したけれど、この人はこういう人だということで。
「…誉めていただいて、どうもありがとうございます。
ところで話は最初に戻りますが。」
何の話をしていったっけ?と言わんばかりの不思議そうな顔をされた。
「こっそり部屋を抜け出してきたんでしょう?」
「よく分かったね。」
そりゃ分かるでしょうよ。とぼけるのがうまいんだから…。
「じゃあすぐに部屋に戻ってください、ここは僕が片付けますから。僕も大げさになるのは困りますし。」
こっそり部屋を抜け出したこの人が、この場にいたということが分かっては、話が大きくなって仕方がない。結果的に何事もなかったからといって、はいそうですかとはなかなかいかないものだ。
「では任せていいのかな?」
「ええ、こういうことは慣れてますしね。」
トラブルメーカーだの問題児だの、不本意なあだ名をいただいている分、この手の処理は数多く、自分で言うのも変だけど手馴れている。
この様子だと、こいつらの事情聴取は会談終了後になりそうだし、そのころにはソルジャー・ブルーはミュウの船に戻っているだろうし、問題ないだろう。
…そう、戻ってしまうんだよな…。
ああ、うっかり思い出したせいでまた落ち込んできた。この人の姿を見るのも明日が最後。いや、もしかして今日が最後になるかもしれない。
「ジョミー。」
呼ばれるのと同時に、ソルジャー・ブルーの右手が僕の左手を取った。
「え…?」
いつの間にここまで来ていたのか、まったく気がつかなかった。
「血が出ている。」
ふと自分も目を落とすと、手の甲に斜めに傷がついて、そこから血がにじんできている。血が流れるほどではないので、たいした傷ではない。いわゆるかすり傷といったところだ。
「ああ、こんなの傷のうちに入らないから大丈夫ですよ。舐めておけば治ります。」
大丈夫だというジェスチャーに左手を振ろうと思ったが、その手をしっかりと握られているので、それはかなわなかった。
あれ?傷の具合を見ているのかな…?
僕の左手を取ったまま、じっと見つめているからそう思っていたら。
「そうだね。」
言いながら、僕の手の甲に唇を這わせて…。
え?ええ!?
「―――――!!」
声も出ないとはこのことだ。おまけにしばらく凍ってしまって、まったく動けなかった。
なんで?なんで??舐めておけば治るって言ったけど、普通僕が自分で舐めるだろ?どう聞いてもそうだろ!?
「ジョミー?」
凍り付いている僕を不審に思ってか、顔を上げたソルジャー・ブルーは不思議そうに僕の顔を覗き込んでくる。
こんなときに、こんな間近にこんな綺麗な顔があると心臓によくないことこの上ない。
「あ、あなたに舐めてくれと言ったわけでは…。」
しぼり出すようにようやくそんな言葉を口にすると、目の前の美人はいたずらっぽく笑った。
「君に時間外労働をさせてしまったから、そのお詫びとお礼だよ。
では僕は失礼しよう。すまないが後を頼む。」
「はあ…。」
気が抜けてしまって、そんな間抜けな返事しかできなかった。
ソルジャー・ブルーの姿が屋上の入り口の向こうへ消えたことを確認して、とりあえず、本部をコールする。こいつらを回収してもらわないと困る。深手を負わせたことに違いないので、手当ては早いに越したことはない。
それはいいけど。
はあとため息をつく。
今のは絶対に反則だ…。今度ソルジャー・ブルーにどんな顔して会えばいいのか、分からない。
もう一度ため息をついて、左手を見る。と、ふとおかしなことに気がつく。
血のあとは少しあるが、まったく痛みを感じないのだ。
…傷が、ない…?
いくらなんでも不自然だった。擦過傷だが、数分程度で治るような代物ではなかったはずだ。しかも、傷跡ひとつ残さず。
そういえば聞いたことがある。ミュウには怪我を治すサイオン能力を持つものがいると。
じゃあ。
もしかして。
今のは僕の傷を治すため…?
ということは、あの人にはサイオンシールドなんか、全然効いていないのかも…?
5へ
今回やりたかったこと。「ジョミーの手にキスするブルー」の図。前振りが長すぎと責めてください…。 |
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