「ソルジャー・シン!」
医療部の廊下にひらめく緋色のマントが、その声に止まる。
「珍しいですね、あなたがここに来るなんて。」
マントの主が、ゆっくりと振り返った。その先には、黒髪の少年が病室のドアを開けて嬉しそうな表情を向けている。裸足のまま、というところに、この少年がジョミーの気配を感じて呼び止めるために、いかに慌てて廊下に出てきたかということが分かった。
『ドクター・ノルディに用がある。後で君の病室に寄る。』
表情も変えずそれだけ伝えると、ジョミーは再び歩き出した。
「…はい。」
黒髪の少年、シロエは名残惜しそうに、それでも微笑みながらその姿を見送った。
「…戦いに、ですか。」
うーん、とドクターは腕を組んで空を仰いだ。
「…時期尚早といった感はぬぐえませんな。確かに寝ていれば治るという問題ではありませんが…。」
何といってもメンタルな部分ですから、とドクターは続けたが、対するジョミーは何の反応も見せない。
「心的外傷というものは、肉体に追った傷と違って患部を見ることができない分厄介でしてね。いつどこでその傷が開くか分かりません。あなたはシロエを次の戦いに参加させたいとおっしゃるが、それがどんな結果を引き起こすか…。主治医としては、返事を保留せざるを得ないところですな。」
十数年前。ジョミーがエネルゲイアで見つけたミュウの子どもであったシロエは、奇跡的に成人検査を通過し、同じく成人検査を経た同い年の子どもたちとSD体制のもと、教育ステーションに送られていたが、マザーシステムに反抗して、体制から追われることとなった。その際、ミュウ化したことによって同じステーションの仲間から撃墜され、セキ・レイ・シロエは世界から姿を消したと思われた。
しかしその後、無意識に発動した強大なサイオンにより、シロエの身体は仮死状態となって宇宙をさまよったようなのだ。どのくらいシロエの身体が宇宙空間にあったのか分からないが、気がついたときにはトロイナスではないミュウの収容施設の無菌室にいたらしい。その時点で、既に数年の歳月が流れていたそうだ。
教育ステーションからの脱走の際、いまや国家騎士団総司令となった男に撃墜され、練習艇は完全に破壊されたにも関わらず、シロエは生きていた。それだけのサイオンを持つミュウを実験体とすれば、きっとミュウ殲滅の重要なデータが取れるに違いない。そう思われたのだろう。シロエの身体がもとに戻るまでその後さらに数年を費やしたに関わらず、処分もせずに完治するまで投薬を続けたことが、その裏づけだった。
しかし、その間シロエが成長することはなかった。教育ステーションを追われたときの姿のまま、少年であり続けた。
身体の機能が元に戻ったシロエは、トロイナスの収容施設に移された。そこで想像を絶する実験にかけられることとなった。死んで当然の状況の身体を守ったサイオン。研究者たちは、その不可思議な現象の解明のため、容赦のない実験プログラムを課した。そのため、シロエはソルジャー・シンに救出されたときには、見るも無残なほどやせ細っていた。
今はドクター・ノルディの治療と、彼自身のサイオンのためだろう、身体はほぼ元通りとなっている。だがその過酷な実験内容のため、睡眠障害や大人に対する恐怖といった症状が現れることがあるらしい。
「あなたは外見が若いし、シロエとはもともと顔見知りだったので、彼も気を許しているからその精神障害はよく分からないと思いますが、時折フラッシュバックが現れたり、悪夢に苛まれたりすることがあるのですよ。参戦するなど、まだ早いのではないかとは思いますが…。」
『分かった。』
ジョミーは何の感情のない瞳をドクターに向けた。
『あとは彼自身に聞いてみよう。それで嫌だといえば、強制はしない。』
「…ま、待ってください、ソルジャー!」
そのまま立ち上がってきびすを返そうとするジョミーを、ドクターは慌てて呼び止めた。
『何だ?』
まだ何かいい足りないのか、と言わんばかりだ。
「あなたに望まれれば…彼は決して拒否しません。それがどんなに困難なことであっても。」
ドクターはコホンと咳払いして続けた。
「彼は、あなたの傍にいたいと願っているのです。ここに来た当時は、そんなことをよく口にしていました。しかし、我々の置かれた現状を理解してからは、あなたが多忙だということも分かったようで、まったく口には出さなくなりましたがね。」
それでも、ベッドに座って誰かを待っているかのようにドアを見つめていることがある。しかし、ドクターのそんな言葉にもジョミーは何の反応も示さなかった。
「シロエはヒルマン教授からミュウの歴史や戦いについて教わっていましたが…。彼の質問のほとんどは、あなたのことばかりだったそうです。いつシャングリラに来て、いつ先代からソルジャーを引き継いだか、視覚や聴覚を失ったのはいつで、それはなぜか。そして、あなたはいつからそんなに悲しい雰囲気を纏うようになったのか、と。」
ドクターはそこまで言って、息を吐いた。
「…相手がソルジャーのあなたでさえなければ、私はシロエの治療のため、傍についてあげて欲しいと頼んだと思います。そのくらい彼のあなたへの思慕は深い。そのあなたから、戦いに参加してくれと言われれば、彼は嫌とはいいません。」
ジョミーは黙っている。
「あなたにとって彼は手駒でしかないのかもしれませんが…彼にとってはあなたは唯一の救いであり、希望です。ですから…。」
『救いや希望が戦いを進めてくれるのなら、苦労はしない。』
それだけ言うと、ばさっとマントを翻した。ドクターは慌ててその後を追った。
「お、お待ちください…! 私も一緒に行きます!」
だが、ジョミーからは何の返事もなかった。
病室のドアを軽くノックしようとしたところが、先にそのドアがシュンという音を立てて開いた。
「…あなたの足音だと思いました。」
ドアの向こうから嬉しそうな表情が覗いた。セキ・レイ・シロエは、上背のあるソルジャー・シンを見上げて微笑んだ。
『君に話がある。僕たちの戦いについてはヒルマン教授から教わったと思うが。』
言いながら、ジョミーは病室の中にゆっくりと歩を進めた。
病室の中は白い壁がまぶしい。だが、今のジョミーには色彩や明度などほとんど意味をなさない。それでも…。
なぜか、ここはまばゆくて、居心地が悪かった…。
『今、シャングリラはソレイド軍事基地に向かっている。辺境の軍事施設の要となる基地だ。ここを落とせば、このあとの戦いが楽になる。』
「ソルジャー!」
状況説明も何もなく、突然何を言い出すのだと後ろにいたドクター・ノルディは慌てた。
「いえ、この船が地球へ行くために戦いを続けていることは分かっています、ドクター。それで。」
シロエはドクターを軽くなだめながら、今度はジョミーに目を移した。
「僕に、何かできることはありますか?」
その視線に、何かがダブる。ずっと昔、そんな表情をしながら、銀の光を纏う彼の人を見つめ続けた、己自身がいたことを苦い気持ちとともに思い出す。
『君にはブリッジに詰めて、僕の補佐をしてもらいたい。』
そう伝えれば、シロエの表情に不安とほのかな喜色が覗く。
『補佐と一口に言っても、その役割はさまざまな分野にわたる。攻略しようとする惑星、衛星の事前調査から次の進路の検討、僕が不在のときの指導者代行まで。』
「ソルジャー、あなたは私のいうことを聞いていたんですか!」
言ってみれば後方支援だが、その中でも最も重要な役割を与えようとするソルジャー・シンに、ドクターが抗議の声を上げる。病み上がりの病人にはいくらなんでも荷が重いだろうと言外に訴えている。
『無理強いはしない。君の意思に任せる。』
ドクターには目もくれず、ジョミーはそれだけ言ってきびすを返した。
「待って、ピーター…!」
その言葉に、ジョミーの足が止まる。振り返らずに後ろを伺えば、シロエはしまったと言わんばかりに口を押さえている様子が分かった。
『何だ?』
感情のない思念波。それでも、特に怒っている様子はないと分かると、シロエはほっと息を吐いた。
「すみません、ソルジャー…。あの、僕、がんばりますから…。」
それを聞いたドクターは、天を仰いだ。
『…来週からブリッジに来るように。』
振り向きもせずにそれだけ伝えると、ジョミーはシロエの病室を出た。おそらくドクターは今ごろ、細々とした主治医の意見や注意事項をシロエに伝えていることだろう。
『僕、がんばりますから…。』
どこか嬉しそうにいったシロエ。
『グランパのためなら何でもする。』
無邪気な笑顔を向けてくるトォニィ。
『救いであり、希望なのです』。
そして。ふっとドクターが言った言葉が思い出された。
…だが、そんなものを夢見てもらう資格は、僕にはない。この心にあるのはただひとつ。彼の人の切ない想い、恋するような地球への思慕。
ただ…それだけだ。
…ジョミー…?
眠りについていたブルーは、何かを感じてふっと目を開けた。悲しくも身を切られるような感覚に、意識が浮上する。
…呼んだのか?
かすかなテレパシー送ってみた。だが、それに対するいらえはない。
気のせいだったかと息を吐いてからまた目を閉じる。そして。
…ブルーの意識は、再び深い眠りに沈み込んだ。
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反攻は毎度毎度難産なんですけど、これからさらに難産になりそうです。何といっても、この後はジョミーが青の間に顔を出さなくなってしまい、Wソルジャー萌えどころが少なくなり、ひっじょーに書きづらくなるためでし…。 |
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