|    目覚めは最悪だった。吐き気に眩暈、身体中に残る鈍痛。ああ、僕はまだ生きていたのか…。
 「ブルー?目が覚めたのですか?」
 傍らからフィシスの声が聞こえた。
 「気がついて…、よかった…。」
 目だけを動かして彼女を見た。彼女の閉じた瞳から、幾重にも涙がほほを伝っている。
 「フィシス…。」
 声はかすれていたが、何とか喋ることができた。
 「心配をかけたね…。すまない。」
 「いいえ!こうしてあなたが戻ってきてくださっただけで私は…。」
 「フィシス…。」
 そういえば…、メギドの管制室を破壊した覚えはあるが、その後どうなったのか分からない。あのとき、あのメンバーズエリートと対峙して、それから…。
 頭の中に鮮烈な記憶がよみがえる。
 そうだ、あの時目を、右の目を撃たれたはず…。
 しかし、その右目はまったく傷ついている様子がない。傷どころか、視力も以前と比べて問題なさそうだ。
 そんなはずはない、確かにあのときに…。
 そう考えて、体の中に残る波動に気がつく。これは。
 …ジョミーだ…。
 落ち着いて考えれば、ブルーのサイオンバーストを止め、メギドの爆発をも凌いでブルー自身をここまで連れてくることできるものがいるとしたら、それはジョミーしか思い当たらない。
 しかし、そんなことをすればジョミーだってただで済むわけがない。
 「フィシス、ジョミーは…?ジョミーはどうしている?」
 そう問いかければ、フィシスの顔が曇った。
 「…今は元気ですわ。でも…。」
 言いよどんでいるのは、ジョミーに何かあったせいだろう。
 と、そのとき。
 『入っていいですか?』
 部屋のすぐ外からのジョミーの思念波が聞こえた。しかし、気配を消しているわけでもないだろうに、それまで近くに来ていることにまったく気がつかなかった。フィシスも同じように考えているらしく、驚いている。ということは、ジョミーは船のどこかから部屋の前までテレポートしてきたということなのだろう。
 返事を待っているらしく、なかなか入ってこない。
 「入りたまえ。」
 応えた途端、ベッドから5メートルほどの地点にふっとジョミーの身体が現れ、マントがゆっくりとたなびいた。
 『…外してもらえるかな?フィシス。』
 伏し目がちに静かに、しかし有無を言わさずに告げる。
 ジョミーはフィシスに対してこんな言い方をしたことはない。大事な話ならばなおさらフィシスを交えて話をしただろうに。
 これだけでも十分に違和感があるというのに、さらにその表情である。部屋に入ってきたときから硬いままで、いつもくるくると表情を変えていた彼とはまったく別人。
 この変化は一体…?
 「はい…。」
 『ありがとう、話が終われば声をかけます。』
 ジョミーの表情に、少しだけ笑みのようなものが浮かぶ。
 後ろ髪を引かれるような思いのようだったが、フィシスは静かに部屋を出た。彼女を見送って、こちらを向いたジョミーはそのままの位置でブルーを見つめていた。が、おかしなことに気がつく。
 焦点が、合ってない…?
 ずっと視線を下に向けているようなので気がつくのが遅れたが、いつも印象的な碧の瞳は翳っていて、どこを見ているのかよく分からない。この部屋には他に見るものがないから、ブルー自身だろうとは想像できるが。
 『今この船は、アルテメシアに向かっています。』
 おかしい、思念波は苦手だといって滅多に使うことはないはずなのに。部屋の外にいるときからずっと思念波ばかり使っている。
 『まずはアタラクシアを拠点にし、地球の座標を探るところから始めるつもりです。』
 「君、目をどうかしたのか?」
 多分、その後の計画も説明しようとしていただろうが、それよりも…。
 『…見えなくなりました。』
 ジョミーは少し躊躇したようだが、あっさりと告げた。
 『耳も聞こえませんし、口も利けません。』
 それでずっと思念波を使っていたのか…。
 「何が原因で…?」
 そう問えば、硬い表情に変化が現れた。
 『…終わったことです。』
 しかし、それも一瞬に過ぎず、また表情をなくしてしまっていた。
 「…僕の、せいか?」
 『違います。』
 その問いかけにだけはやけに反応が早かった。
 『…この後についてはまだ未確定ですが、同じような育英都市を包括する惑星をいくつか落とし、そこで得たデータを元に軍事衛星を手に入れた上で、太陽系へ向かうつもりです。計画では、ですが。
 目標は地球ですが、真の目標はSD体制の破壊にあります。』
 ひととおり説明すると、ジョミーはひとつため息をついた。
 『…ナスカの仲間たちは、あなたのおかげでほとんどは助けることができました。…メギドシステムが生きていれば、全滅は免れなかったでしょう。ただ、結局あの星は見捨てざるを得ませんでしたが。
 ナスカで生まれた子供たちの力は、あれからますます強くなっています。おそらく、これからの戦いに備えてくれているのだと思います。』
 計画と現状報告はここで終了したらしい。
 何か質問はありますか?と問いかけてくる。
 「…君が視力と聴力と声を失った理由を知りたい。」
 『大した理由はありません。』
 ジョミーは自嘲気味に笑うと、そう言い切ってしまう。
 『質問がないようならば、これで失礼します。ゆっくり休んでください。』
 と、ジョミーが来たときと同様、空気の揺らぎを感じた。
 「ジョミ…っ。」
 『!?』
 テレポートのブロック。しかし、むしろ体力のないこちらのほうにダメージが大きい。
 『何をしてるんですか、その身体で!』
 さすがにジョミーの叱責が飛ぶ。同時にベッドから落ちかけた身体を支えてくれた。
 「…やはり僕のせいだね。」
 ジョミーに触れた先から流れてくる断片的な記憶。触れ合えば、思念はさらに読みやすくなるものだ。
 『…わざと、ですか?』
 ブルーの思惑に気がついて、ジョミーは悔しそうな表情を浮かべた。皮肉なことに、これがこの部屋に入って初めてジョミーが感情を表に出した瞬間だったのだろう。
 「君が嘘をつくからだ。」
 『嘘なんか…。』
 「僕をだまそうなんて300年早い。」
 『だましたわけじゃありません、言う必要がないと思っただけです。』
 ああ言えばこう言う。僕が寝ている間に口も達者になったということか。
 「メギドの爆発の中で、君は自分に構うことなく、僕を助けようとして、爆風に身をさらしたのだろう?」
 ジョミーは何も言わなかった。それ自体が肯定のしるし。
 「…馬鹿なことを…。」
 『僕にとっては、あなたが傷ついているほうが大問題でしたから!』
 馬鹿なことといわれたためか、ジョミーは怒りの表情を浮かべた。
 『それにあなたにそんなことを言われる筋合いはありません。
 あなたこそ、僕の指示に従うと言っておきながら、結局最後まで僕の指示なんて聞いちゃいなかったじゃないですか!
 ああ、もういいです!あなたが大人しく僕に従うなんてことは夢にも思っていませんでしたから!そんなことが現実に起こったら、それこそ気持ち悪くて仕方がない!
 だからせめて…。』
 そこまで言って、ジョミーはうつむいた。
 『…せめて、今回だけでいいですから、僕のしたことを受け入れてください。
 倒れているあなたを見つけたときには、僕自身どうかなってしまうんじゃないかと思ったほどでしたから…。これでは、地球へ向かう戦いが、あなたの仇討ちになりかねない。
 …そんなことを、僕にさせないでください。』
 そうしていると、ベッドの横でひざを抱えていたときとなんら変わらないと思った。変わったのは、視覚聴覚の不自由さによるサイオン使用の頻度と、それから…。
 地球へ行くという強い決意、なのだろう。
 『え、あの…?』
 ブルーの両手がジョミーの頬に触れた。
 もったいない、と思った。この翡翠の色の瞳が、光を見ることができないだなんて。これだけ近づいても、彼の瞳はまったく反応を示さない。目に表情をなくしているだけで、見えているか見えていないかだけの違いで、瞳の色がこんなにも違うなんて初めて知った。緑の輝くような瞳は、今や暗い翳を落とした深い海のような色をたたえている。
 『…ブルー、僕は別に不自由じゃないですよ?』
 「それは分かっている。」
 『傷跡があるわけじゃないから、見た目は綺麗でしょ?』
 「そうだね。」
 『…この目を見ているのが嫌なら、目を閉じていてもいいんですよ…?』
 「それはダメだ。」
 『………。』
 さすがに、ジョミーも困り果てたらしい。
 何か言おうとした口が、結局何も言えずに閉じられる。
 「…治す方法は?」
 『…ありません。』
 言われるまでもなく。
 それはジョミーに触れた時点で分かっていた。高熱による視神経や聴覚神経の寸断、さらに声帯の破壊。破壊の度合いがひどすぎて、治すことなど不可能だ。
 ジョミーの言うように、表面上はほとんど分からない。しかしそれは、表面上の痕跡を消したというだけのことなのだ。
 「ジョミー、肝心なことを言うのを忘れていた。」
 少し目を見開いて、何の話?とばかりに不思議そうな顔をしている。そうしていると、ジョミーの目に光が反射して、明るい緑の瞳が戻ったようだった。
 「助けてくれて、ありがとう。」
 『…なぜ助けたと、叱られると思っていました。』
 「君がそれだけの犠牲を払ってくれたんだ、そんなことを言っては失礼だ。」
 『でも、本当は言いたいんでしょ?』
 「確かに。君が無傷であれば、手放しで礼を言えたのだが。」
 『やっぱり…。』
 ジョミーはその言葉に苦笑いしていたが、ふとまじめな顔つきになった。そしてそのまま静かにひざまずき、ブルーの左手を取った。
 「ジョミー…?」
 『…僕に誓いを立てさせて下さい。』
 そして、そのまま口付ける。
 『僕の運命のすべてをかけて、あなたを地球へ連れて行きます。どうかそれまで…。』
 言い終わるか終わらないとき、ジョミーの姿は掻き消えた。
 待っていてください、という余韻だけが残った。
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        | 本当は本編でもこのくらいやってほしかった…!ところでこれでは、どの辺が鬼軍曹か分からないので、後日フォロー話入れますね! |   |