まるで墓場だな…。
打ち捨てられた教育ステーションの通路を歩きながら、ブルーは考えた。たまに点検に来る作業員のためだろうか、酸素の供給はかろうじて行われているが、システムはダウンしたままだ。
ブルーはゆっくりとコントロールパネルに歩み寄ると、スクリーンに触れた。何の反応もないと思われたが、ブン…という音とともに、コンピューターが動き始めた。だが、警報が発せられる様子はない。
「…イライザは眠ったままか…」
ブルーはほっとしたようにつぶやいてから、キーボードを叩いた。
実は、この先のエリアに入ることができるのは、許可された人間だけなのだ。この教育ステーションが、単なる青少年の育成のためにつくられたものではないということは、以前から分かっていた。その深奥部では、何らかの実験が行われている…。
その情報に、ミュウの実験施設を連想したのは、無理ないことだったと思う。もしそれが事実ならば、仲間を見捨てるわけにはいかない。だが、騒ぎは起こしたくなかった。アルタミラから脱出したばかりで、何の力もない自分たちを危険にさらしたくなかったのだ。だから、ミュウの技術力を駆使して、パスワードを手に入れ、E−1077の侵入に成功した。だが。
…予想は外れた。そこはミュウの実験施設ではなく、別の実験施設だったのだ。
ロックの解除を知らせるピープ音が響き、奥のドアが開く。
かつてフィシスを、地球を抱く女神を見つけたのは、この奥だった。
神を恐れぬ所業だと。その実験の全容を知ったときに思った。ここで行われていたのは、ミュウの人体実験などではなく、ヒトをつくりだすという神のみに許された行為だったのだ。
いくつかのドアをくぐり、ブルーはその場所にたどり着いた。すでに実験は終了しているらしく、そこには実験の過程を示す数体の『サンプル』のみが置かれている。
ブルーは、ホルマリン漬けになっている『フィシス』と、50年前にはいなかった男にちらりと目をやっただけで、さらに奥を目指した。
…記憶はここで終わりだ。僕はここでフィシスと『出会った』。けれど。
ジョミーの手がかりもきっとあるはずだ…。
誰もいない空間に、靴音だけが響く。だが、ここにはこれ以上のものはないように思えた。
「…君は意地悪だね」
手がかりらしきものさえ、出てこない。しかし、それが自分自身の罪の深さに思えてしまう。
…君は50年前、何をしていたんだろうか。この場所とジョミーをつなぐ糸は一体…。
そのとき、教育ステーションが何かにぶつかったように大きく揺れる。それと同時に、ガラスの向こうの『フィシス』も揺れた。
「……!」
転倒は免れたものの、そばの柱に掴まらなければいけないほどの衝撃だった。
「…小型の小惑星でもぶつかったのか?」
どうやらそうらしい。
ステーションのどこかが破損したのかもしれない。しかし衝撃はそれっきりで、再び静寂が訪れた。しかしぐずぐずしてはいられない。閉鎖されているとはいえ、一応は実験データや実験体のサンプルもあることだ。保安員がやってくるかもしれない。
ブルーは息を吐くと顔を上げて。
どきりとした。
…ドア?
今まで気がつかなかったのだが、壁だと思われたところにドアがあったようだ。今の衝撃による振動で、開いてしまったらしい。
そっとドアを押したが開かない。
…仕方ない。
ブルーは精神を集中すると、サイオンをドアにぶつけた。ガタン、という音と同時にドアがひしゃげる。
「…ここは…」
中も同じだ。コンピューターが並び、水槽が置かれている。照明は…と思ったが、暗くてよく分からない。それでもブルーは一歩踏み入れ。
ぎくりとした。
水槽にいたのは、実験のサンプルと思しきヒト。それは…。
「…ジョミー!?」
長い金髪に白い小さな顔。そして、その中にあるどろんとした緑の瞳。その顔は、確かに『ジョミー』だ。しかし、生気を失った『ジョミー』は、本物のジョミーとは似ても似つかないが。
…そんな馬鹿な…なぜジョミーがここに…?
まるで凍りついたかのように動けない。
なぜ、どうして、という単語しか頭に浮かばず、ブルーの紅い瞳は『ジョミー』にくぎ付けになった。
ジョミーは…フィシスと同じように創られたものだったのか…?
ブルーは、ジョミーとも思えない胡乱な表情のサンプルをじっと見つめていたが、ふとあることに気がつく。
…このサンプルは…せいぜい6、7歳くらいか?
『フィシス』ともうひとりの男のサンプルは6、7歳くらいから14、5歳までのものが数体。だが、『ジョミー』は6、7歳だろうと思われるもの一体だけだ。
ということは、『ジョミー』は、ここでつくられたが、フィシスのように成人検査の年まで水槽で育てられたわけではなく、幼いうちに水槽を出され、一般家庭で育てられた実験体、ということなのか…?
シャングリラの記憶バンクにあった、ジョミーが成人検査を受けたという情報を信じれば、どうやらそれが一番しっくりくる考え方だ。
では、フィシスとジョミーは同時につくられ、違った環境で育てられた比較検体だったのだろうか。
暗闇に目が慣れたせいか、おぼろげながらコンピューターの電源の位置が分かったので、それに触れる。やはりファンが回る音がしてからランプが点滅し、パネルが点灯した。
ブルーはジョミーのデータを探すべくキーボードに指を走らせたが、機密事項になっているためか、エラー画面が表示されるだけだ。何度か繰り返したが、結果は同じ。
ブルーはふっと水槽に漂う幼い『ジョミー』を見上げた、
『彼』…の脳を使って情報を探ることができるだろうか…?
すでに生命活動を停止させられて50年は経っているだろう『ジョミー』。だが、ジョミーとこの少年とは同じものだ。どこかで感応するかも知れない。
だが、ブルーとてそれがどれほど危険なことか分かっている。ただのサイコメトリとはわけが違う。いや、それだって、かなりの年数が経った死体にどれほどの情報があるかなど分からない。それどころか、今ブルーがやろうとしているのは、ジョミーと同じ遺伝子配列を持つ『ジョミー』を利用して、ジョミー自身の過去を読み取ることなのだ。しかも、その中継となるのは、やはり50年前に活動を停止した脳だ。通常ならそんなものに同調するなどできようはずがない。
しかし、これしか方法はないのだから。
ブルーは『ジョミー』の水槽に右手を当てた。その感覚は、記憶に残るフィシスとの触れ合いと同じものだった。
けれど、僕が今得たいのは、美しい地球でも女神の安らぎでもない。
ブルーはすっと目を閉じた。
…ジョミー、君なんだ。
ぼうっとブルーの身体が青白く光った。その光は、『ジョミー』にも届く。ブルーの身体から流れる青白い光。それは幻想的な光景だったのだが。
「……っ!」
突然、部屋の中に閃光が走る。それとときを同じくして、『ジョミー』の水槽が音を立てて中央から割れた。水槽内のホルマリン液が外へ流れ出したが、『ジョミー』は浮力を失って水槽内に倒れただけだった。それと同時に警報がけたたましく鳴る。
ブルーはというと。
慌てて飛び退ったのはいいが、そこでひざをつき、荒く息を吐いていた。ひどく消耗したらしく、冷や汗をかいて今にも倒れそうな雰囲気だ。
「…やはり、少々無理があったか」
死人の脳に同調するなどということは。
だが、ブルーは苦しそうな中静かな笑みを浮かべた。
「でも、ようやく君につながったよ、ジョミー」
ここまでやるとは思っていなかったんだろう、と。
そうつぶやいてから、息を整えてから立ち上がる。そのとき、部屋の出入り口のシャッターが閉まった。過去を暴く侵入者を足止めするためなのだろう。
「君を見つける前に、捕まったら元も子もない。少々荒っぽいが、力づくで出る…!」
ブルーの身体から再び青白い光が立ち上っていた。
8へ
お久しぶりの更新、ドロボウさん。あまりに久しぶりではずかし〜!
おまけにブルーとジョミーの絡みゼロだし!! |
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