「僕が女の子になるために…フィシスに協力してもらったのは、知ってますよね?」
「グランド・マザーがそう言っていたからね。」
うん、とジョミーはうなずいた。
「…最初に僕を人間にしてくれたキースが、言っていたんです。女性の身体になるには、とんでもない代償が必要だって…。」
「…キース…?」
その不機嫌を隠しもしない、地を這うような声に、ブルーの『キース』に関する誤解をまだ解いていなかったのだったと思い出した。
顔を上げれば、不愉快そのものといった表情のブルーと目が合う。
「あの、あのねっ、キースは僕の幼馴染で海魔を使役する魔法使いなんです。だから、ブルーが思うような関係ではまったくなくて…! そ、そう! キースと協力して僕を女の子に変えてくれたフィシスなら、きっとそう言ってくれますから!!」
疑わしげにこちらを見つめるブルーの眼差しに、ジョミーはフィシスに絶対帰ってきて! と切に祈った。…なんだか動機がイマイチ純粋でないような気はしたが。
ブルーはため息をつくと、なるほど、とつぶやいた。
「では、君が声を失ったのは人間になるための代償なのだな。」
童話の人魚姫とまるで同じだね、とさらに続けた。
「うん、ホントは別のものでもよかったんですけど、とにかくそれが一番無難そうに思えたから。」
そうか、ともう一度つぶやき、ブルーは今度こそ笑みを浮かべた。
「それなら、グランド・マザーの気まぐれに感謝しなければいけないな。聞くことのできないはずの君の声は、とても優しい響きだ。」
「そ、それはブルーの声です! 聞いていて、すごく…落ち着くから…。だから、聴力を失うのはイヤだったんです。」
そうドキドキしてそう言いながらながら…。はたと我に返った。
「あ…じゃなくて…! この身体のこと…でしたよね!?」
「こんな脱線ならいくらでもしたいくらいだけど。でも、そうだね。先にその話を知りたいな。」
ブルーの言葉にうなずきながら、ジョミーはもう一度自分の身体に視線を落とす。
「フィシスとキースとが一緒に祈祷してくれたおかげで、女の子になれたんですけど、28日間は絶対に人前に出ちゃいけないって言われました。それが、祈祷の効果を一生涯持続させる条件だったんです。」
それで合点がいったのか、ブルーは短く、そうかとうなずいた。
「…だけど…グランド・マザーがこの国に攻めてくるって聞いて…。」
そこまで言って…でも続きが言えなかった。ブルーが生きて幸せであればいい、そう思っていたというのに、ブルーの傍に居ることを諦めなければならない悔しさと悲しさに、涙がこみ上げそうになった。
「僕のことを心配して…禁を破ってしまったんだね。」
穏やかにそう言われて、なおのこと切なくなる。だから、慌てて顔を振ってから思いっきり頭を下げた。
「ごめんなさい…!」
ブルーに気分を害した様子はなかったが、かといってこんなことを相談もなしに決められるなど、喜ばしい話であるはずもない。
「ごめんなさい…っ、こんな勝手なことをして…。」
フィシスが強引だったせいではない。ただの身代わりでいいと思ったのに、ブルーのお嫁さんになれるかもしれないという可能性に、つい心が動いてしまったのだ。
だから…もういい。これで十分だ。
「お願い…ブルーはひとりで帰って…? 結婚しようといってくれただけで、僕は満足だから…。」
同情でも何でもいい、そう言ってくれただけでこんなにも幸せなんだから…。
「ブルーは十分にいい王様だけど、これからもずっと国民思いの優しい人でいて。僕、この海の一部になっても、ずっと見守っているから!」
…ちゃんとした笑顔になっているかは自信がなかったけれど、精一杯微笑んで手を振ろうとした。けれど…切なげな紅い瞳に…その動作が止まった。
「…君は優しい子だね。例え海の泡となる運命だとしても、僕を殺そうとは思わない。」
童話の結末も…そうだったねとつぶやくブルーに、ジョミーはぶんぶんと首を振った。
「だ…だって、それは僕が勝手にあなたを好きになったんだから…。それに、もともと海の泡になるのを承知であなたの元に来たんだし、あなたを殺すも何も…。」
「ねえ、ジョミー。」
言葉を途中で遮られたジョミーは、嬉しそうに微笑むブルーの言葉を待った。若干嫌な予感には襲われたが。
「このまま君が海の泡になるというのなら、僕もここで君とともに海の底で眠りについてもいいだろうか?」
へっ?
思ってもみなかったことを笑顔で告げられ、ジョミーは目を丸くした。
「どうせ地上にいても、君に焦がれて死ぬことになるだろう。そのくらいなら、君とともに果てるのもいいかもしれない。」
「な…何を言ってるんですか!?」
気が違ったとしか思えない。しかも、それをさもいいことを思いついたとばかりにブルーはひとり悦に入っている。
「そうすれば、誰かに君を奪われるかもしれないと恐れる必要もなくなるわけだ。」
「だ、だから何を言って…! あなたは王様でしょう、シャングリラのことはいいんですか! この災害復旧に力を注ぐといったあの言葉は…!」
「では、手伝ってくれるかい?」
そう言われて、言葉が止まる。
「僕は、君が男であったとしても気にしない。もし国民が反対するなら、時間をかけてでも分かってもらうつもりだ。だから」
一緒にシャングリラに戻ってくれ。
王妃として、ずっと僕の隣で笑顔を浮かべていてほしい。
そういわれるのに、呆然とブルーを見上げているしかなかった。
「でも、君がどうしてもいやと言うのなら…僕も君と運命をともにしよう。」
その言葉に。
…急に怖くなってきた。自分がひとり死ぬのは構わない。けれど、それにブルーを巻き込むなんて…。
「そ…そんなの、卑怯…だ…。それじゃ…脅しじゃないですか。」
ようやく出せた声は、ひどくかすれていた。
「今日はよくよく卑怯扱いされる日だね。」
苦笑いしながら、しかし次には紅い瞳にじっと見つめられて、ジョミーはごくりとつばを飲み込んだ。
「でも、君相手では手段など選んでいられない。脅しだろうが何だろうが、君を僕の傍に縛り付けられるなら何でもする。」
…本気…なの?
その真剣な視線と声音に、ジョミーは肌が泡立つのを感じた。ブルーをこんなに恐ろしいと思ったことは今までに一度もない。けれど、その妄執とも思えるものに心地よさも感じて…ひどく戸惑った。
「でも…でも、僕は思い込みが激しいってキースに言われたことがあるし…。」
「分かっている。」
「勘違いが多くて、ひとりで騒いでるって言われてたし。」
「それも知っている。」
「ダンスは踊れないし、優雅な仕草とか、流れるような身のこなしなんて全然できないし…!」
「そんなものは必要ない。」
「王妃らしいことなんて、これっぽっちも…!」
その言葉が途中で途切れる。
突然のキス。黙れといわんばかりに口を塞がれたジョミーは、しばらく呆然としていたが、やがて熱に浮かされたようにとろんと目を閉じた。
「君は君でさえあればいいんだ。」
ほかには何も要らないんだよ。上流階級の作法も、淑女としての心得も。
キスの合間にささやかれる言葉に、そんなはずない…と思いつつも…。ジョミーはブルーの口付けが気持ちよくて、それ以上反論することはできなかった。
その後。
ジョミーの身体は男に戻る気配もなく、なぜか一時的に戻った声も失われる様子がなかった。
「…フィシス…まさかと思うけど、僕のこと騙したわけじゃないですよね…?」
「まあ、ジョミー。私がそんなことをするはずないでしょう?」
いかにも心外とばかりに、フィシスは大げさに嘆いた。
「ご、ごめん。疑うわけじゃないんですけど…。」
この状況はどうしても納得できなくて…。
それもそのはず。ここまでことが良いほうに運ぶと、誰しも疑いたくなるものだ。
「きっと、神様の思し召しですわ。ジョミーがシャングリラの王妃となることに、天上におわす方々もお喜びなのでしょう。」
…なんだかうそ臭い…。
他の人が言うのならまだ信じる気になれるが、あれだけの力を持つフィシスがわざとらしく神様だなんだと言うと、胡散臭くて仕方がない。
『まあ、私を待っていてくださったのかしら? それとも、仲のよいところを見せつけようと思っていらしたの?』
あれから程なく二人の前に降り立ったフィシスは、戦いの名残すら見せず、にこりと笑って言ってのけたものだ。
グランド・マザーのことを聞くと、穏便に話し合って海の底へ戻っていただいたとのことだったのだが、あの魔女が本当に大人しくフィシスの言うことを聞いて海へ帰ったのかという疑問は当然残った。
…それが本当だとすれば、フィシスはグランド・マザーに何を言ったのだろう?
「それよりも、ウェディングドレスは人魚らしくマーメイドがよろしいのではなくて?」
「…そんなドレスがあるの…?」
女性の服装のことなど、まったく未知の分野である。
そんな他愛のない話をしながら、ジョミーは窓から見える城下町に目をやった。そこここで、津波によって壊れた家屋などの取り壊し作業や修復作業が目につく。
「でも…災害でみんなが大変なときに、結婚式なんか挙げていいのかな…。」
大体、不謹慎じゃないだろうか。
「あら。暗いニュースばかりでは、皆の気持ちが沈んでしまいますわ。明るい話題を提供するのも王族の役割だと思ってくださいな。」
…そんなものなの?
よく分からないけれど…フィシスはそう言うし、ブルーも何の抵抗もないようだから、そんなものなのだろう。
そう思いつつ予想外の展開に、つい戸惑ってしまうジョミーだった。
…だって…どこの誰が、僕が王妃になるなんて予想しただろう…?
後でフィシスに、王妃らしい立ち居振る舞いでも教えてもらおうかな…。
おわり
と、いかにも童話らしいハッピーエンド!(どこが。)未発表エピは、結婚式+初夜のドタバタコメディと、キースとのボケツッコミ模様でーす。 |
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