見ているだけでいいと思っていたのに、かりそめにも婚約者と呼ばれ、国王様から優しく接してもらったら…、欲は留まるところを知らず、フィシスという巫女姫に嫉妬の念を覚えてしまうほどになってしまう。
あの美しい国王様を独占したい。あの紅い瞳が僕以外を映すなんて嫌だ。
そんな内心を知られたくなくて。
そんな感情が自分の思いを無視して走ることが怖くて。
僕は…、あの人を避けるようになった。
…馬鹿みたい。
苦笑いとともに、声にならないつぶやきを唇だけで形作る。
最近では、国王と話ができない気まずい日々が続いている。
国王のほうは話しかけようとするのだが、ジョミーがすぐに逃げてしまう。また、本来公務で多忙な国王は、そうそう時間を取ることができないため、その理由について落ち着いて問いただすことすらできない。
『明日から地方を回るけれど、一緒に来ないか?』
数日前にそう言われたけれど、頑なに拒否した。
当然だ。婚約者でもない、身元のはっきりしないただの子供が国王様について歩けるはずもない。それに…、僕が国王様に抱いている気持ちを知られたら…、軽蔑されるかもしれない。
子供でありながら…、同じ男でありながら、気高くも美しいシャングリラの国王に劣情を抱いているなどと知られたら…。
国王の地方回りは今日で終わり、明日にはこの城に戻ってくる。
あの綺麗な瞳を一刻も早く見たいという逸る思いと、醜い心を見透かされるのが怖いという気後れと。その二つが入り混じって、感情が乱れてしまってどうすればいいか分からない。
はあ、とため息をついたとき、不意に部屋の中に何かの気配が立ち上ってきて慌てて身構えた。
…何だろう…?
警戒をあらわにして見守っていると、聞き慣れた声が耳朶を打った。
「俺のことはすっかり忘れたか?」
ジョミー、とささやかれるのに、呆気にとられて目の前に現れた人物を見つめる。
「やれやれ、薄情なことだ。お前を心配して来てみれば…。」
『…キース…。』
懐かしい皮肉っぽい口調に、感極まったのだろう。ぽろり、と涙がこぼれた。
「ジョミー!?」
驚いたのはキースだ。
突然泣かれるとは思ってもみなかったらしい。慌てて、何だ?どうかしたのか?を繰り返している。
『な、何でもない。急に…、キースの顔を見たら気が緩んじゃって…。』
気丈にも笑顔でそう言って涙をぬぐうと、キースは難しい顔をして首をかしげた。
「…やはり…、ダメだったのか?」
ダメも何も…。
ジョミーは悲しげに目を伏せた。
ダメ、ということは最初から分かっていた。ただ…、こんなに早く、結論が出るなんて思わなかっただけで…。
「…前の通信のときのお前の様子が気になって来てみたんだが…。」
言いつつ、キースはじっとジョミーを見つめた。
「幸い…、国王は不在のようだし、このまま俺と海に帰るか?」
しかし、それは嫌だった。
ダメなことは分かっている。国王様は、あの美しい巫女姫と結ばれるだろうけど、でも…。
『帰らない…!
最後の瞬間まで、あの人を見ていたいから…!結婚式の直前まであの人の綺麗な顔とルビーの瞳をこの目に焼き付けておきたいから…!』
泣きそうな表情で、それでも頑として首を縦に振らない友人に、キースは困ったように眉を寄せた。
「…ダメだと思った時点で、お前を連れ戻すと…。そう約束していたと思うんだがな。」
確かにそういう約束をして、人間にしてもらった。それは…、覚えているけれど。
『でも…、国王様を見守ることさえできなくなったら、きっと僕は海の中で焦がれ死にする。だから…、戻れないよ。』
そう言うと、キースは重いため息をついた。
「…何となく読めた展開だったがな…。
分かった、もう少し時間をやろう。だが、お前を海の泡にするなんて、冗談じゃないからな。」
キースは僕のことを心配して言ってくれるんだ。
そう思いながらも…、絶対に海に戻ることだけは嫌だった。
気まずくてもいい。例え蔑まれても、二度と顧みてもらえなくても、それでも国王様の傍にいたい…!そう、考えていた。
翌日。
地方回りを終えた国王を代表とする一団が城に戻ってきた。
ジョミーはその様子を窓から眺め、城の前で皆にねぎらいの言葉をかける国王を見つめていた。
…やっぱり…、綺麗だよな。それに優しくて。国民に人気があるのもうなずける。
そう思っていたら、解散式はあっさりと終了してしまったらしく、国王は城の中に入ってしまい、従者たちはひとり、またひとりと城下町へ消えていった。
それはそうか。国王様だって家来だって疲れているんだから。
そんな風に考えていたら、不意に部屋のドアがノックされて驚いた。まさか、と思った。
「ジョミー?」
そして、その涼やかな声に慌ててしまった。
おそらく時間にして2,3分程度。国王は解散式を行ったその直後、すぐにジョミーの部屋に向かったのだろう。
ドアノブが回って、今まで窓から眺めていた国王その人が姿を現した。
「すまない、勝手に入らせてもらう。」
軽い謝罪とともに後ろ手にドアを閉めてこちらを見つめる紅い瞳に、緊張してしまう。
『あ、あの、国王様…?』
その言葉を聞いてため息をつく国王の姿に、二人っきりのときには名前で呼ぶという約束をしていたんだったと思い出し、慌てて言い直す。
『ごめんなさい、ブルー。
あの…、疲れているんじゃ…?』
言外に、部屋で休んだほうがよいのでは…?と言ってみたのだが。
「僕はこの数日間君に会えなくて寂しかったんだから、そんなつれない態度を取らなくてもいいじゃないか。」
…いつもと違い、機嫌が悪そうな気が…。
きっと旅の疲れからだろうと判断して、なおさら休んでもらわなくてはと思った。
『ブルー、今日の公務は…?』
そう訊くと、ちらりとこちらを見てから。
「今晩、家臣である伯爵に招待されている舞踏会があるだけだ。」
ああ、それなら時間はあるじゃないか。今はまだ午前10時前なんだから、十分休む時間はある。
『じゃあ、仮眠でも取ったほうがいいと思います。』
疲れているんだから、と続けると、今度はむっとしたように国王は首を振った。
「疲れてなどいない。」
『じゃあ、お食事でも…。』
「ジョミー。」
強い調子で遮られて、どうしたんだろうと不安になる。
いつも優しく微笑みを絶やさないこの人にしては、不機嫌が表面に現れていて、それだけでも日頃の疲れが出ているんじゃないだろうかと思えるというのに。
「なぜ僕と話そうとしない…?」
正面切ってそんな風に尋ねられるのに、困ってしまう。答えにくい、と言うよりも、答えたくない。
返答がないことに、この人はまたため息をついて、ところで、と話題を変えてきた。
「…君に訊こうと思っていたことがある。
キースとは何者だ…?」
その言葉に。
凍りついてしまった。
どうして…?なぜこの人がキースのことを…?
『あ、あの…。』
なぜ国王様がキースのことを知っている…?
だって、昨日キースが来たときには、国王様は地方巡回の最終日で城にはいなかったはずだ。
いや。国王様が不在だったとしても、この城とその臣下はすべて国王様の忠実な部下だ。婚約者の不審な動きについては、監視され、逐一報告が行っているのだろうか?それがたとえ偽りの婚約者であったとしても…。
でも…。僕じゃあるまいし、キースがそんな間抜けなことをするとは思えないけど…。
いや、もしかして、水鏡での通信のときから知っていた…?それで、僕の周囲には気をつけていたのだろうか…?
「ジョミー…?」
『き、昨日は…。』
何か言わなくては、と思い、何か言われる先に慌てて口を開いた。
『あの、人は…、旅の人で…。このあたりのことが分からなくて、たまたま…、ここに寄っただけだから…。』
その言葉に、国王の視線が鋭さを帯びた。
苦しい言い訳だ。
だけど、他にどう言えばいいのか分らない。いつから見られていたのか。話は聞かれていたのか。まったく状況が見えない中、不安で心臓が破裂しそうだ。
「…ジョミー。」
地を這うような国王の声が響く。
「僕は昨日のことなど聞いていない。
キースという名は、君がここに来た初日、寝言でつぶやいていた名前だ。記憶を失ったばかりの君を刺激してはいけないと思って、落ち着いたころに訊いてみようと思っていたんだ。」
国王の感情の抜け切った声音に。
全身の血が音を立てて引いて行くのが分かった。
9へ
墓穴ですね、これは…。国王様も、カマかけてるところがあり、いっそう黒く…。 |
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