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   「…先ほどのあなたの殿下への態度は、少々礼を失しているのではないか」フィシスが消えて行った廊下の先を見つめながら、ブルーはぼそりとつぶやいた。
 「ああ、あれですか。いいえ、いかな王族とはいえ、厳しく接するときは厳しくせよと、国王陛下からきつく言い渡されております。では、ブルー様は間違ったことをした王女をいさめるなとおっしゃるのですか?」
 …そういうことではなく…。
 言いかけたが、自分がそんな口を挟めるような立場でないと思い直し、反論はしなかった。そもそも、王女が間違いを起こしたか起こさなかったか以前に、王女を小馬鹿にしたような言動が見えたからそういっただけなのだが…こうして王城に入れてもらえるだけありがたいと思っておこうと考え直した。
 そこで、ふっと思い出すことがあった。
 「…ハーレイはここに来ているのか?」
 「え? 誰ですって?」
 男は驚いたようにブルーを見つめた。
 「僕とともにこの国へやってきた従者だ」
 「…そのようなものがいるのですか…」
 ということは、彼はハーレイのことは知らないということだろう。では…ハーレイは一体どこへ…? 考えたくないことだが、ハーレイまでどこかに幽閉されているということはないだろうか…。
 「さて。とんだ邪魔が入りましたが、どうぞこちらへ。あなたのための部屋を用意しております」
 男はというと、もみ手しながらブルーに奥に入るよう促してくる。しかも、彼のいう『邪魔』とは、フィシス王女のことだ。
 この辺が、礼儀をわきまえていないところだと思うのに…。でも。
 ブルーはため息をついてから前を見た。
 …ここまで来てじたばたしても始まらない。
 そう思いながら、ブルーは男のあとに続いた。男が油断のない目をしながら、後ろをついてくるブルーを伺っていることなど知らずに。
 「どうぞ、こちらです」ドアを開けると、白を基調とした豪華な室内が目の前に広がった。一番目をひくのは、天幕つきのベッド。広い部屋ではあるが、キングサイズのそれは客間としては異質なものに映った。
 「ええ、すぐに陛下がこちらに来ることができれば、ベッドなど使わずに済むのです。けれど、そうでない場合はこの部屋で一夜を明かしていただかなくてはなりません。ただでさえ、あなたは緊張していらっしゃる。だから、寝るときだけでもリラックスしていただきたいと思いましてね」
 こちらが何も言わない先から、男はぺらぺら喋り出した。何となく不審に思ったものの、それ自体はありがたい気遣いではあったので、「すまない」とだけいっておいた。
 「では、紅茶でもいかがですかな? 今、女官に運ばせますのでお待ちください」
 そう言うと、男はせかせかとドアを開けた。
 「早くしろ! ブルー様がお待たせする気か!」
 …何も怒鳴らなくても…。別にのどが渇いているわけでもなければ、特に紅茶が好きというわけでもない。だから。
 「…別に紅茶などなくても…」
 そういおうとしたのだが、男はにこにこして戻ってきた。
 「すみませんねえ、最近の女官は気が利かなくて。ああ、お疲れになったでしょう。どうぞ、ソファに座ってください」
 …人の言うことなど聞いちゃいない…。
 ブルーはもう何も言う気がなくなって、ソファに身体を沈めた。そして、窓から見える王城の中庭を眺めてみる。
 …ジョミーは…怒っているだろうな。でも、僕が向かう場所はここしかないのだから、いずれここに来るだろうが…。
 そんなことを考えていると、ドアがノックされて、若い女官が深々と頭を下げて入ってきた。何の気なしにそちらに目を向けてブルーは「あ」と声を上げた。
 「…カリナ…?」
 その声につられるように女官はブルーを見つめ、はっと目を見開いた。
 「…ブルー…様…?」
 紅茶を持ってきたのは、この城の女官長の娘だった。いや、かなり昔のことだから、彼女の母親がまだ女官長をしているのかどうかは分からないのだが。
 カリナは、まだブルーがこの城に出入りしていたころ、来るたびに柱の物陰から恥ずかしそうにこちらを見ていた少女だった。自分自身は一度も言葉を交わしたことはなかったが、物怖じしないジョミーはその姿を見つけてはたびたび声をかけていたことも思い出した。
 「久しぶりだね、カリナ。元気だったかい?」
 そう、笑顔で声をかけたのだが、カリナは凍りついたように動かない。その様子に首をかしげていると、紅茶を載せたトレイがカタカタと鳴り始めた。
 「あ…あの…」
 何か様子が変だった。昔の知り合いに会えて驚いたというよりも、何かを怖がっているように見えて、彼女はみるみる青ざめた。
 「どうしたんだ? 顔色が…」
 真っ青だと続けようとしたブルーだったのだが。
 「…何をしている、さっさと下がらぬか!」
 そのさまに舌打ちをした男は、カリナの手からトレイを取り上げ、次には彼女を怒鳴りつけた。
 「お前のような下賎のものが、ブルー様と言葉を交わすなどもってのほかだ! 分をわきまえろ! さっさと出て行け…!」
 カリナはそれでも首を振ってブルーを見つめた。何か言いたそうな様子でこちらを見つめ、震える口を動かしたのだが…。
 「いい加減にしろ! 叩かれたいのかっ!」
 男のヒステリックな一喝にカリナはびくりと身体を揺らし、結局何も言わずに慌てて頭を下げて出て行った。廊下をパタパタと走る音が遠ざかっていくのを、ブルーは呆然と聞いていた。
 「…まったく、身分をわきまえぬ女官にも困ったものですな!」
 男は怒っているように見えて、ほっと息を吐いていた。それを不審に思ったものの、それよりもブルーにはカリナの今の態度のほうがよほど気になった。
 「…彼女は僕に何か伝えたいようだったが」
 「それが困りものなのですよ。おおかた、久しぶりに会ったあなたがあまりにも美しかったので、お言葉を頂戴しようなどとさもしい考えを起こしたに違いありませんが、あなたはそんなものにリップサービスなどする必要はありませんからな」
 「だから、僕はそんなたいそうなものじゃ…」
 「これはなんということを! あなた様は故オリジン大臣のご子息であるという以前に…」
 と、そこで男の言葉が不自然に止まった。
 「…?」
 …今…一体、何を言おうとしたんだ…?
 しかし、男は取り繕うようにへらへら笑った。
 「ま、まあ、あんな女官などどうでもよろしい。それよりもどうぞ、冷めてしまいますから」
 言いながら、ブルーの前に紅茶カップを置いた。ソーサーのスプーンが、かちゃんという音を立てた。
 「あ…ああ」
 …ブルーは機械的に紅茶のカップを取った。フルーツ系の紅茶なのか、甘い香りが漂う。
 …オリジン大臣のご子息であるという以前に…なんだと言おうとしたのだろう…? 『謀反人の子ども』。それ以外の呼び名が自分にあるのだろうか…?
 ブルーはにやにやしている男を見ながら、こくりと紅茶を一口飲み下した。舌にわずかな酸味が残ったが、気にならなかった。
 …この男が出て行ったら、こっそりカリナに会ってこようか。久しぶりであることだし、それに、カリナが何を言いかけていたのか気になるし…。
 そんなことを考えつつ、ブルーはカップを下した。
 「…それで、陛下にはいつ会えるだろうか。すまないが、陛下のご予定を…」
 そう、言いかけたとき。
 くらりとめまいがして、言葉が止まった。同時に耐えがたいような睡魔が襲ってくる。
 「おや。どうなされましたか?」
 …にこにこしている男の声がひどく遠くから聞こえてくる。
 「いや…なんだか急に…」
 眠くなって…と言いかけたが、その途端身体がソファの背を滑りそうになって慌てて身体を支えようと手をついた。だが、腕にも力が入らず、身体は完全に横倒しになってしまった。
 「お疲れなのでしょう、どうぞゆっくりお休みださい」
 まぶたが重くなり、急激に意識が薄れてゆく。
 どんなに疲れていたとしても、これは変だ…と。そう思った瞬間。…何も分からなくなった。
 「う…ん…」ひやりとした感覚。背中越しに感じる冷たい石の感覚に、ブルーは身じろぎしようとして。
 はっとして目を開けた。室内には一切の明かりはないため、まわりの様子が分からない。いや。
 …石畳の…階段…?
 向こうに、石を積み重ねてつくったと思しき階段がある。その上のほうにろうそくの明かりがあるらしく、かろうじてそれを見ることができた。
 ここは…どこだ? さっきの部屋の中ではないことは確かだが…。それに、僕はどのくらい眠っていたのだろう…?
 身体を起こそうとしたが、できなかった。代わりに、じゃらっという鎖が石を打つ音が聞こえた。その音に慌てて目を向けて。
 …唖然とした。
 薄暗い明りの中、金の鎖で戒められたむき出しの両腕が見えた。まるでバンザイをするように両手首が鎖でつながれている。
 …なぜ…? これはいったい…。
 そして、今度は自分の身体を見て目を丸くした。薄暗いためすべてが見えるわけではないが、どうやら一糸まとわぬ姿で寝かされているらしい。しかも、そこはソファではない。ましてやベッドでもない。テーブル状の形に細工された、大理石のような石に黒っぽい布がかけられているその上に、直接寝かせられているようなのだ。
 …さっきまで、普通の部屋にいたはずなのに…。
 おまけに、ここは部屋と呼べるような場所ではない。どこかの地下室か…遺跡の中か。ごつごつした岩肌が壁になっている、怪しげな場所だ。
 と…とにかく、何とか脱出しなければ。
 どんなにおめでたい性格だろうと、この事態は決してありがたいものとは思えない。だが。
 じゃらっ。
 足を動かそうとしたが、足も鎖で固定されているらしい。のだが…。
 「!?」
 その状態に、ブルーは慌てた。脚は両ひざを立て、大きく開かれている。どんなに力を入れても足を閉じることはできない。
 「どう…して…?」
 呆然とつぶやいたとき、件の階段の上のほうからこつこつという足音が聞こえてきたのだった。
 
   
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        | あれぇー? ウラに入らなかった…。いえ、次こそは…! 実は、実際にヤるところよりも、こういう状況的なところにえくすたしーを感じるワタシ…。なので、前フリが長くなっちゃったのですねー。ごめんなさい! |   |