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    ゆるりと生暖かい風が吹く。月光の結界を越えたその向こうには、荒野が広がっていた。
 『貴様がどうやってその力を手に入れたのかは聞こうとも思わんが。』
 キースという悪魔はふんと鼻を鳴らす。
 『馬鹿なことをしたものだな。あの娘のことなど忘れて、この国の王子として適当な姫を選び、結婚してしまえば人としての道を踏み外すこともなかっただろうに。』
 「そのくらい、ジョミーに惹かれたのだ。」
 自分の運命をささげても構わない。ジョミーが笑ってくれれば、それいでいい。
 「ジョミーの笑顔は、たとえようもないくらい美しい。太陽のような、という形容詞がよく似合う。それを闇の領域に閉じ込めておくなど、冒涜としか言いようがない。」
 『ふん。だが、どうあがいてもあの娘は貴様のものにはならん!』
 「…承知している。」
 それは紛れもない事実。この力をくれたフィシスという占星術師自身がはっきりとそういったのだ。
 「それでも、ジョミーには笑顔でいてもらいたい。」
 僕はジョミーの傍にはいられないが…それでもあの子の笑顔を守ろうとするものは出てくるだろう。その男に嫉妬はするだろうが…。
 『献身的な愛、という奴か。』
 キースはせせら笑い、しかし次の瞬間にはふっと笑みを消した。
 『反吐が出そうだな。だが、おしゃべりはここまでだ。』
 キースの手に黒いものが集まってきた。それはやがて黒い剣の形を作り始める。
 「…悪魔のわりに正々堂々としているのだな。」
 『そんな戯言をほざけるのも今のうちだ。どうせ、貴様は俺に勝てはしない、かつてジョミーの魅力に惑わされ、この俺に戦いを挑んできた少年たちのように。』
 その言葉に。ブルーは目を見開いた。
  無意識のうちに隣にいるはずのぬくもりを探して。ふっと目が覚めた。
 え…? ブルー…は?
 粗末なベッドには自分自身しかおらず、ジョミーはさして広くもない小屋の中をきょろきょろと見渡した。
 「夢…じゃ、ないよね?」
 憧れのあの人が助けに来てくれて。そして、このベッドで愛し合って…。
 そう考えた途端、ジョミーの顔がぼっと赤くなった。
 「い、今さら照れても仕方ないじゃないか…!」
 今ブルーが戻ってきたら、きっと「顔が真っ赤だよ? どうしたんだい?」とからかうことだろう。
 「でも…どこ行っちゃったんだろう?」
 まさか…?
 ジョミーの心の中に、ある可能性が思い浮かんだ。
 もしかして…ブルーはキースのところに行ったんじゃ…?
 そう思うといてもたってもいられず、しばらく悩んだ挙句薄汚れたシーツを身体に巻いて外に続くドアを開いた。その途端、月明かりを背にした人影が目に入ってきた。
 「……!!」
 「こんばんは。お久しぶりですわね。」
 長い金髪にしっかりと閉じられた目。盲目の占い師フィシスは、ゆっくりとこちらに歩を進めた。彼女の童女めいた顔には、わずかな微笑が浮かんでいる。
 「中に入れていただけません…? 今晩は荒れそうですから。」
 王宮お抱えの占星術師である彼女がどうしてここにいるのだろう…?
 それにしても、今夜は雲ひとつない。月が煌々と湖を照らし、空には星が瞬いている。天気が崩れそうな様子はないのだが。
 「…何の…用ですか?」
 ジョミーは警戒心をむき出しにしてドアの取っ手を掴む手に力を入れた。
 「アフターサービスですわ。私は取りっぱなしということはいたしませんのよ…? 特に対価を多くいただいた場合は。」
 そういっていたずらっぽく笑う。
 「……?」
 「ブルー王子殿下…いえ、元王子といったほうがよろしいでしょうか。あの方から依頼を受けましたの。」
 「ブルーから!?」
 その名前に、一転してジョミーは身を乗り出した。
 「ええ。」
 「ブルーは今どこに!?」
 「あなたの手の届かない場所です。」
 その言葉に、ジョミーはえもいわれぬ焦燥感を覚えた。その言葉を、はるか昔に聞いたことがあったのだ。
 「でも、何も知らずに後で涙に暮れるのもかわいそうだと思いましたの、あのときのように。だから状況だけでも教えて差し上げようと思ったのですわ。」
 ジョミーの顔が蒼白になる。
 「じゃあ…ブルーは今…。」
 「悪魔キースと戦っているのでしょうね。」
 「そんな…!」
 「それがあの方の望みでした。あなたを縛るキースと戦う力がほしいと。例え彼に勝利しても、あなたを得ることはできないと承知の上で。」
 「…どういう…こと?」
 やはり知らなかったのですね、とフィシスは笑った。
 「悪魔の魔法が解ければ、あなたは人間として生きることになります。けれど、王子殿下は人外の存在として闇の世界に生きるものとなり、二度と人には戻れません。ですが、それは彼の勝手です。あなたは何を求めたわけではないのですから。」
 「でも…っ!」
 「ただ…あの悪魔と刃を交わして無事に済むとはいえません。…あのときの少年のように。」
 キム…という名前でしたっけ? とフィシスは微笑んだ。
 「キム…は…。」
 ジョミーは顔色を変えた。
 「あなたの事情を知って、キースの手の中からあなたを助け出したいと私の元に来た、血気盛んな少年でしたわね。」
 でも…直情型が災いしたのか、あの悪魔の策にはまって命を落としてしまいましたけど。
 「そんなつもりじゃなかった…! キムは優しかったからつい甘えてしまったけれど、そんなことをさせるために事情を話したんじゃない…!」
 「そうでしょう。でも。」
 微笑はそのままに、フィシスはまた一歩前に出た。
 「それが…魔性というものなのですよ…?」
 自分ではどうにもならない、男殺しの宿命。
 「そんなこと…!」
 反論しようとしたジョミーだったが、不意に言葉を止めてしまった。そして、次の瞬間にはフィシスをにらんだ。
 「ブルーはどこ?」
 ふふ、とフィシスの笑い声が静かな湖畔に響いた。
 「キムのようにはさせない…! 教えて、ブルーは!?」
 「あなたには手の届かない、悪魔キースの結界に。招かれなければ入り込むことのできない、月光の狭間に。」
 「連れて行って!」
 「まあ、勇ましい姫君ですこと。でも、今私は招かれなければ入り込むことができない、と言いませんでしたか? あなたも私も、キースの結界には招かれざる客ですわ。」
 「あなたに不可能はない。僕はキースからそう聞いている。」
 「それは買いかぶりというものです。私にもできることとできないことが…。」
 「ほしいものは何?」
 だが、ジョミーはきっと顔を上げるとフィシスを遮った。
 「僕は何も持たないし、今もこの命はキースに握られている。あなたに対価として渡せるものは限られているけれど。」
 真剣な面持ちのジョミーにそう詰め寄られたフィシスは少し考えるふりをした。
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        | …なんだか話がややこしくなってきたような…。しかしフィシス様、恐ろしいですね〜! 二重取りでぼったくりとはこのことなり…。 |   |