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  …なぜ、あのとき疑ってしまったんだろう…。あれから延々と自分を責め続けている。
 ジョミーはずっとあの男から陵辱を受けていて…身体は手荒く扱われ、心ならずもあの男の思うがままに開発され…。それでもあんな粗末な小屋で、たった一人で抵抗して…。
 どのくらいの時間を、ジョミーが一人で過ごしてきたのかは知らない。けれど、その覚悟は並大抵のものではないだろう。
 『こんな美しい王子様にお声をかけてもらったと思って、嬉しくてついぼうっとしてしまったから』
 そう言って、はにかむような笑みを浮かべた、ジョミー…。
 舞踏会はとうに終わってしまっている。ハーレイが何度も呼びに来ても、なぜ中座したまま戻らないのだと父王に叱られても、どうしてもあのきらびやかなホールに行く気になれなかった。…ジョミーをあんな風に傷つけたその罪の重さに、とてもはしゃぐ気になれなかったのだ。
 既に日付の変わってしまっている時刻だ。窓から見る城下町に明かりはほとんどない。その分、空に瞬く星が綺麗に輝いている。
 …ジョミーは…。今頃どうしているんだろうか…?
 最後に見せた、透明な涙を浮かべたジョミーの緑の瞳。あの男によってそれが闇に染まる…。
 『…まあ、よい。明日の舞踏会には必ず出席せよ。今日のところは、体調が優れぬとでも言っておく。』
 父王はそんな言葉にも返事ができなかった。あの男に奪われたジョミーを忘れて、のうのうと花嫁を探す…? そんなことなどできるものか、と。
 そこまで考えて、ブルーははっとして顔を上げた。
 いや…ちょっと待て。
 そのときには父のその言い草に腹が立ったのだが、今己がしていることを改めて考えて…唖然とした。
 僕がこうして思い悩んでいることが、何かの免罪符にでもなると思っているのか…? ジョミーは今まさにあの悪魔に辱められ、苦痛の中にいるかもしれないのに…一体僕は何をやっているんだ…? ここでずっとうつむいていただけじゃないか!
 そう考えると、いてもたってもいられなくなった。今まで、自分の不甲斐なさばかりに気を取られていたが、ジョミーのことを思うと、こんなことをしている場合じゃないと、ようやく気持ちが切り替わった。うじうじと思い悩んでいた数時間が惜しいくらいだ。
 僕のことなど、もうどうでもいい。ただ、ジョミーさえこの手に取り戻すことができれば…いや、助け出せればそれでいい…!
 ブルーは前をにらみつけて剣を取り、部屋を後にした。
 
 向った先は、王家ご用達の占星術師の館だ。まだ王ではない自分は、本来ここに出入りすることはできない。だが、あの悪魔の居場所や対抗する手段が分からない今、唯一の手がかりなのだ。
 「…いらっしゃいませ、と言いたいところですが…。」
 占星術師の館といっても、建っている場所は町外れのひどく寂しいところなだけで、建て方は普通の民家とまったく変わらない。
 対応に出た長い金髪の少女は、困ったように首をかしげた。しっかりと目を伏せた姿に盲ではないかと思ったが。
 「随分と非常識な訪問時間ですのね、王子殿下。」
 柔らかな微笑みをたたえ、ちくりと嫌味を言う様子に、名乗りもしないこちらのことを分かっているのだからそんなことはないだろうと思った。
 「それは承知していたが、火急の用なのだ。どうか術士に取り次いでもらいたい。」
 「お言葉を返すようですが、占星術師とお話しすることができるのは、国王ただ一人でございます。次期国王とはいえ、今のあなたにその資格は…。」
 そう告げた途端、剣の切っ先が彼女ののど元にぴたりと止まった。
 「王家との決まりごとも承知している。だが、先にも言ったが火急の用なのだ。一秒たりとも無駄にはできない。」
 普段なら、こんな無抵抗な何の力もない少女に剣を向けようなどとは思うまい。しかし、そんなことなど今のブルーにとっては完全に吹き飛んでいた。
 「まあ、舞踏会から今に至るまで、ショックのあまりお部屋で打ちひしがれていた方が、何をおっしゃいますことやら…。」
 だが、微笑みながら口にしたその棘のある言葉に、ブルーは目を瞠った。どうやら、この少女には城での出来事はすっかり分かっていたようだ。
 「…それなら説明する手間が省けた。僕は自分の婚約者を取り戻したい。だから、ぜひとも術士に取り次いでいただきたい、相談したいことがある。」
 彼女に突きつけた剣の切っ先が首にかけた天然石のネックレスに触れ、石がぱらぱらと足元に散った。だが、少女はその様子にも動じた気配がない。
 「まあ。ブルー王子殿下といえば、美しく気品があってお優しい方であるという評判ですのに…。こんな野蛮な方だったんでしょうか?」
 「僕の評判などどうでもいい…!」
 あらあら、と少女は微笑んだ。剣を突きつけられていると思えないほどの落ち着きようだ。
 「それではひとつ伺いますが…あの王女を手に入れてどうするのです? あなたもご覧になったとおり、彼女は黒い悪魔に染められた、魔性の身体を持つ聖女なのです。どう考えても、あなたが執着するには当たらないのですわ。」
 「そんなことは、君に決められるいわれはない…!」
 ジョミーは優しく、清らかで美しい。決して蔑むような存在じゃない…!
 「それに…あの王女はすでに黒い悪魔のものです。彼女はそう自分ではっきりと口にしたはずです。」
 「それは…っ。」
 「約束事とは、軽いものでは決してありません。肉を持たぬものたちにとっては、存在自体を左右する重要なものです。ゆえに…王女が黒い悪魔と婚姻を結ぶと言った以上、その約束事は守られなければなりません。」
 「だが、それはジョミーの本意ではなかったんだ…!」
 「言葉には、言霊というものが宿ります。心にもないことを口にしたからといって、それを撤回できることにはなりません。」
 「しかし…!」
 「どうしてもというのなら。」
 少女は凛とした声で言った。声を張り上げているわけでもないが、そのぞっとするような響きにブルーは押し黙らざるを得なかった。
 「その悪魔を殺すしかありません。そうすれば、婚姻相手は消え、約束は白紙に戻ります。ですが、ただの人であるあなたに、悪魔を倒すことは不可能です。」
 そういわれるのに、ブルーはじっと少女を見た。
 この少女は何者だ…? ここまで詳しいということは、もしかして…。
 「…よろしいでしょう、お入りください。その心意気に免じて、お話を伺いますわ。」
 少女はそう微笑んで、奥に入っていった。ブルーもそれに続いたのだが…。
 まさか…この少女が占星術師ということは…ないだろうな? 祖父の代から努めているといわれる占星術師。会ったことはないが、父のさらに前の代からシャングリラ王の助言を行っているという。
 …代替わりしたなどと聞いたことは一度もないのだが…。
 「さあ、どうぞ。」
 薄暗い部屋に通され、椅子を勧められる。そこはただの台所で、あるのは二人がけのダイニングテーブルのみ。そして少女はブルーの前に座った。
 「では、改めまして。私はフィシスと申します。」
 やはり…!
 信じられないことだが、この少女こそがシャングリラで最も高位の占星術師フィシスその人なのだ。
 「あら、びっくりなさいましたか?」
 その様子を笑いながら、少女はにこりと笑った。
 「いや…失礼、こんなに美しい方だとは知らなかったものだから。」
 「まあ、お上手ですこと。よろしいのですよ、こんな若作りだとは知らなかったと正直におっしゃっても。」
 ころころ笑うフィシスに、ブルーは困って視線を泳がせた。どうにも、女性には優しくと教えられた手前、強く出ることができない。さっきこの少女に剣を突きつけてしまったが、ジョミーのことがなければそんなことはできなかっただろう。
 と、そこまで考えて、ブルーはフィシスをじっと見つめた、
 「では、フィシス殿。どうかあの黒い悪魔を倒す方法を授けていただきたい。」
 そういうと、フィシスはくすっと微笑んだ。
 「ただでは…教えられません。」
 …それは、そうだろう。
 王でもない自分を、王宮お抱えの占い師が何の見返りもなく助けてくれることなどありえないだろうと分かっていた。ましてや、これは王政とはまったく関係のないことなのだから。
 「何が…望みだ?」
 ブルーはフィシスを見つめた。
 「そうですわね…では、あなたの影を。」
 …影?
 ブルーは訝しげに目を細めた。
 「黒い悪魔と同等の存在になるために必要なことでもあります。ただし、あなたの身体はこの世のものではなくなり、あなたは二度と城には戻れません。この国の世継ぎとしての王子の立場も失ってしまいます。さらに、あなたの魂は輪廻転生の理から外れることになりましょう。」
 「構わない。」
 王子としての立場などどうでもいい。この手にジョミーを手にできればそれで…!
 「しかも…あの悪魔に必ず勝てるという保障はありません。同等の力を得るのですから、あなたが返り討ちにされる可能性も当然あります。最悪の結果も考えられますわ。」
 「元より承知している。」
 とにかく、あの男と戦えるだけの力がほしい…!
 「ではもうひとつ。黒い悪魔の魔力から解き放たれたあの王女は、あなたとは逆に人としての生を生きることになるでしょう。ずっと止まっていた時間が回り出し、人である彼女にとってあなたは相容れない存在となります。それでもよろしいですか。」
 その言葉には…さすがに詰まった。
 それは、たとえあの男に勝ったとしても…ジョミーを取り戻したとしても、決して自分とは結ばれることがないということだ。だが、ブルーはすっと顔を上げた。
 「それでもいい。」
 ジョミーの笑顔を一目見ることができれば…それでいい。
 それを聞くと、フィシスはくすっと笑った。
 「分かりました。では、あなたの手を私の手と絡ませて。」
 そう言われるのに、手袋を取ってからフィシスの手にじぶんのそれを委ねた。
 「目を閉じて。どんなことがあっても、私の手を離してはいけませんよ。」
 そう言われるのにまぶたを閉じ、神経を集中した。
 …ジョミー、今君の元へ行く…!
 その途端、身体の一部を無理やり剥されるような痛みが襲い掛かった。何が起こっているのか分からない、その衝撃に自分が何を叫んだのかも分からなくなっていた。無理やり何かをむしりとられ、別の何かを入れられるような異物感に…気が遠くなりかけた。
 『王子様…。』
 そのとき、ジョミーの声が聞こえたような気がした。ブルーは、その声こそが自分を呼ぶ声だと…信じた。今まさに、ジョミーは救いの手を待っているのだ、と…。
 …そう思うことで、己を保つことができたのだと思う。どのくらいの時間が経ったのか、ふっと身体が軽くなったような気がした。
 「終わりましたよ。」
 フィシスの涼やかな声が聞こえて、ブルーは閉じていた目を開いた。だが、見たところ、何も変わっていないような気がする。その疑問が伝わったのか、フィシスはふふふと笑った。
 「では、その鏡の前に立ってみてくださいな。」
 そういわれて…恐る恐る部屋の隅に置かれた姿見の前まで行って。自分の姿が映らないことに…言葉も出ないくらいに驚いた。
 「これであなたは、ご自分の影と引き換えに、あの悪魔と匹敵する力を得ることができました。ですが、あちらのほうが経験では上手だということを知っておいてください。まともに戦えば、戦略で負けます。」
 童女めいた少女は、口元に笑みをたたえてそう告げた。
 「…忠告に…感謝する。」
 ブルーは彼女を振り返りもせずに、機械的に謝辞を述べる。いいえ、と少女は軽く頭を下げた。
 ならば、少しの時間も無駄にできない。早くジョミーの元に向かわねば…!
 押し開かれ、無残に散らされた白い身体を思い出すだけで、心臓が軋むようだ。その心が通じたのか、フィシスはにこりと笑った。
 「今のあなたなら、道が見えるはずですわ。あなたの愛おしい方の元に続く道が。」
 そういわれて、ぐるりとまわりを見る。煌々と輝く月が、微妙にブレている。
 「月の光…が…。」
 月の光に隠れている、次元の重なりが見える。
 ジョミーの元へ行く道の入口はあそこだ。だけど、どうすれば…。
 「御心のままに。今のあなたに越えられない壁はございません。」
 さらに、感覚が研ぎ澄まされる。続いて、突然月の真ん中に黒い穴が見えた。そう認識した途端。
 ブルーの身体は宙に浮き、背中から大きな翼が現れた。それこそが…その麗しくも見ているものを総毛立たせる姿こそが、彼がこの世のものでないという証。それでも、幻想的な白い羽根を背負った姿は、とても美しい。だが、当のブルーはそれに気がついているのかいないのか、翼をばさっと大きく広げ、そして。
 「ジョミー、今…行く。」
 そうつぶやいた途端。彼の姿はこの空間から…消えた。
 「まあ、行ってしまいましたわ。」
 そうぽつりとつぶやいて、フィシスはうっとりと微笑みながら手元の水晶球を持ち上げた。その中には、なにやら黒い影がいるように見えた。
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        | 続きはウラに入ります〜! ので一旦ちょん切ります。それにしても私の羽根好きには呆れかえりますな…!(汗) |   |